手編みのニットとサロンワークで生活を彩る。お客さまと自分がご機嫌な毎日を送るために働く、mori naokoさん ─天職WOMAN─
くるくるのパーマヘアが印象的なmori naokoさん。美容師歴12年目、現在はフリーランスとして働く傍ら、chuchu wool(チュチュウール)というブランドで手編みのニット製品を販売しており、様々な場所でポップアップを開催するなど活躍の場は多岐にわたります。
そんなmoriさんにお話を聞いたところ、まぶしいくらいの笑顔で「私は別に、美容師じゃなくても良かったんです」とまさかの言葉が。美容師と編み物、一見全くちがうジャンルに見える二つを両立する、moriさんの仕事への想いに迫ります。
美容師になると決意したのは、ポートランド
地元の福岡から上京して、山野美容芸術短期大学を卒業したあと、8カ月ほどアメリカのポートランドというところに語学留学をしていました。昔から、海外に行きたいという思いが強かったんです。山野の短期大学を選んだのも、美容だけでなく英語が学べて、留学制度もあったからでした。ですが、いざ念願の留学をしてみたら、自分になんの武器もないことに気づいたんですよね。
私が拙い英語で当たり障りのない会話をしている傍らで、ネイティブの子達と音楽に詳しい子が自分の得意なジャンルの話をしているのを見て、当時長けている部分がなにもない自分がすごくコンプレックスに感じました。
向こうでは、日本の美容学校に行っていたという経歴はすごく重宝されます。「髪切ってよ」とお願いされることもありましたが、美容学校の経験だけではカットはほとんど出来ません。そのうち、「ヘアカットできたら、もっと色々話せるかな」と、カットやカラーのスキルを身に付けたいと改めて思うようになりました。現地で美容師になることも考えましたが、やはり日本の美容の技術を学びたいと思い、日本に帰って美容師になることを決意したんです。
帰国してから就職活動をして、第一志望だった都内の有名店に内定をもらいました。そのサロンでは8年ほど働きましたね。アシスタントからスタイリストデビューまで経験しましたが、正直、楽しいことばかりではありませんでした。
私は不器用なタイプで、なかなかデビューできず…アシスタント期間は7年ほど。後輩がどんどん先にデビューしていったり、比べられたりするのはきつかったですね。
当時の店長に「辞めます」と言ったこともありました。でも、「デビューした成功体験は将来絶対に役に立つから、デビューまでは頑張れ」と言われて、踏みとどまったんですよ。
そこから、毎日朝と夜にカットチェックをしてもらって、終電までモデルハントをするという日々を過ごして、ようやくデビューすることが出来ました。
長いアシスタント期間は忘れてしまいたいくらい大変でしたが(笑)、その期間に、3人の尊敬するスタイリストのアシスタントについて、間近で仕事を見ることが出来ましたし、雑誌の撮影やライブ、ヘアショーなどいろいろな現場に連れて行ってもらってたくさんの貴重な経験をしました。人に恵まれたことでデビューまで諦めずに続けられたのだと思います。
それこそ、いま場所を使わせてもらっているROUNのオーナーのnanakoさんと出会ったのも前社にいた頃。最初についたスタイリストがnanakoさんで、最後のデビューのときにサポートしてくださったのもnanakoさんでした。
自分のお客さまの施術は、最初から最後まで自分の目で見たかった
念願のデビューを果たしてから、一年ほどで前社を退社しました。スタイリストになってから、私はアシスタントに手伝ってもらってたくさん入客するよりも、最初から最後まで自分でやる方が好きだと気付いたんですよね。それに加えて、美容師以外のことに挑戦したい気持ちもあったので、離れることに。
一社を経て、ROUNに来たのは2023年の10月頃。退社後も仲良くしてくださっていたnanakoさんに働き方などを相談したところ、誘っていただいたんです。今は、サロンの定休日を含め、サロンの混雑具合をみながら使わせて頂いています。
サロンワーク以外の時間は、ほとんど編み物をしています。編み物を始めたのは母の影響なんです。私は3姉妹なのですが、衣食住に困らないようにと、幼少期から料理や編み物を教えてくれる家庭だったんですよね。毎日、家の近所の手芸屋さんに毛糸を見に行っていましたが、可愛い毛糸は幼い私にはすごく高かったですし、編みたいものがあっても技術がなくて作れず…気づいたら、編み物からは離れてしまっていました。それが、数年前に実家に帰ったときに姉が編んでるのを見て、ふと自分も編みたくなったんです。
久しぶりに手芸屋さんに毛糸を選びに行ったら、大人になった私は欲しい毛糸も買えるし(笑)、質や形にもこだわりたくなってきて。作り始めたら、すごく楽しかったんですよ。無心で没頭出来る感じがメディケーションにもなって、自分にフィットする感覚がありましたね。そこから再燃して、自分のものをたくさん編んでいるうちに、周りから「私にも作って」と言われることが増えていきました。
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