「美容師を辞めなくてよかった」ヘアとメイクで自分の好きを表現するk-two谷口翠彩さんが大切にしていること─天職WOMAN─
谷口翠彩(たにぐちみどり)さんは、k-two GINZA(ケーツー ギンザ)で美容師として働く傍ら、雑誌や広告等でヘアメイクアップアーティストとしても活躍中です。学生時代からの『ヘアメイクとして活躍する』という夢を叶えた今もサロンワークを続け、エグゼクティブ・ディレクターも務めています。
そんな谷口さんですが、実は一歩踏み出す決断がなかなかできない性格で、就職後もずっと進路に悩んでいたそう。悩み迷いながら、どのようにヘアメイクの夢を叶えたのでしょうか。美容師としてのこだわりや、ヘアメイクへの想い、仕事への向き合い方など、詳しく伺いました。
ヘアメイクの仕事に憧れている女性美容師さん、キャリアに悩んでいる美容師さんは必見の記事です。
30歳でメイクの師匠のアシスタントに志願! サロンには内緒の兼業生活
私は新卒での就職活動がなかなかうまくいかず、福岡の美容専門学校を卒業したあともずっと就職活動を続けていました。大手志向で妥協ができず、どこのサロンにも所属しないまま身一つで上京してきて…10月頃まで就活を続ける中でようやく巡り合ったのが、k-twoだったんです。
高校生の頃から雑誌の『装苑』が好きで、ファッションに関わる分野でヘアメイクの仕事をしたいという想いは美容師になった当初からありました。ただ、いざ始まったアシスタント時代は毎日生きることに必死で。入社3カ月目からデビューまでの6年間、ずっと塚本(塚本繁・現FaNNa ginza代表)のアシスタントについて目まぐるしい毎日を送っていました。チェックに受かってからも、仕事を引き継げるメインアシスタントがなかなか育たず、デビューは遅い方だったと思います。
アシスタントの仕事も好きでしたし、焦りもあまりなかったですが、私より後輩の子が先にデビューしたときには、「世の中って理不尽だな」とは感じましたよ(笑)。でも、それが理由で辞めたいとは思わなかったんです。私は就活がとても辛かったので、辞めてまた就活をするのは嫌でしたし、ようやく掴んだチャンスなのに、他人のせいで自分の心が揺れて道を変えるという選択肢はなかったんですよね。
そうしてサロンワークを続けながら、ヘアメイクとしての仕事を明確に意識するようになったのが30歳の頃でした。当時、夜の空いた時間はサロンとは別の場所でバイトをしていたのですが、そこにいた同僚がきっかけなんです。その人は私が憧れていたヨーロッパのメイクチームに所属していて、私と同じようにバイトをしながら「パリに行く」という目標を持っていて。その人と接するうちに「そうだ、私もヘアメイクになりたいんだった」と忘れかけていた夢が再燃したんですよ。
それで、憧れていたメイクさんにアシスタントにつきたいと履歴書を送ったんです。初めは返事がありませんでしたが、諦めかけた頃にInstagramのDMで「事務所に履歴書を送ったので、もしよかったら見てください」とコンタクトをとってみたらすぐに「会えますか?」と連絡がきて驚きました。履歴書を送る段階で、下準備として自分の作品をポートフォリオにしてiPadに入れていたので、「いつでも大丈夫です」とお返事したら、その日のうちに直接お会いして話すことに。結果、お試しでアシスタントにつかせてもらうことになりました。
実は、そのタイミングではメイクの師匠についたことは会社には言っていなかったので、早朝はメイクの師匠の現場について、その後はサロンワークに戻って…と、なんとか自分で時間をやりくりしていたんですよね。コロナ禍であまり現場もなかったのですが、メイクとしての立ち居振る舞いや基本的な所作などはそこで学ばせてもらいました。
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