輝く美容師の裏側にフォーカス あの人の「裏ガオ」 #8 SIX / 久保雄司さん
“ゾーン”に入ってしまえば頑張っている自覚もないくらい夢中になれる
そんな日々を8年過ごしたのち、トレンドサロンで一緒に働いていた先輩が出したお店で働くことになりました。代表以外有名なスタイリストは一人もいなかったので、どうやって売上を立てるかというのが目下の課題。集客サイトに載せるスタイル写真もなかったし、載せてお客さんがきてくれなければ絶望的だなと思って、集客サイトを始める前に半年間、みんなで作品撮りをしてそれを雑誌に売り込みに行こうということになったんです。
当然それまで作品作りもあまりしてこなかったし、撮影もやったことがない。それでもSNSでモデルさんを探して営業中に顔合わせ、休みの日に作品を撮るということを1年ほど続けました。
そのときが僕のターニングポイントです。それまで1年に1回作品撮りをするかしないかくらいだったのが、休日に2~3人撮るようになりました。人に「撮影いっぱいやって頑張ってるよね」と言われても、自分では楽しくてやっているだけだから頑張っているという感覚もない。ただ単に楽しくて夢中でやっているという”ゾーン”に入ったんです。
雑誌に作品を持ち込むと言っても、当時はなんの知識もありませんでした。なので、モデルさんと撮影の打ち合わせの時に「どんな雑誌に出たいですか」って聞いてみたんです。そこで皆が口を揃えて言っていたのが『ar』でした。なぜかというと、「かわいく写真を撮ってもらえるから」。僕の思考回路は単純なので、「じゃあ写真がかわいく撮れる美容師になればいいんだ」って思ったんですよ。
そこで、かわいい写真を撮るために始めたのがカメラです。「背景をぼかすにはどうしたらいいんだろう」「撮ったあとにレタッチというものをするらしい」とか、電気屋さんに聞いたり自分で調べたり試行錯誤しながら技術を高めていきました。クオリティの高い写真を撮ることができればお店も有名になってお客さんもきてくれるようになるかもしれない、と考えたんです。
そうしている間に、モデルさんのブログのヘッダーやInstagramのアイコン写真に僕の手がけた作品が広まってカメラのセミナー依頼も増え、少しずつ名前が知られるようになりました。
そのときのメイクは、サロンのなかで唯一できる女性スタッフが担当していました。でも、しばらくしてその女性が結婚を機に退職してしまい、自分でメイクをしなければいけない状況になってしまったんです。なんの知識もなかったので、リップもチークもアイシャドウも一つずつ買ってどの人にも同じメイクを施していましたね(笑)。
>本格的にメイクを始めたのは4年前! 「うぶバング」で一躍有名に