厳しくて優しい、植村隆博という人間
本当に厳しい、でもそれは本当に優しいからこそ
-古城さんが植村さんに一番はじめに教わったことは覚えていますか?
人間的な基本の部分や仕事への姿勢ですね。そこから教育がはじまったと思います。
-厳しかった時のエピソードがあればお聞かせください
…今のご時世じゃ言えないエピソードばっかりですけど(笑)、例えば、僕がアシスタントの時に他の先輩から言われたことをサロンの壁を下敷き代わりに
使ってメモを取っていたら、ものすごい勢いで怒られましたね(笑)。
その瞬間はなんで!? と思いましたけど、その壁は著名なイラストレーターさんがイラストを描いてくれた壁で、作品を下敷き代わりにする失礼な行為をしていたんです。そういった人としての行動に対してとても厳しかったですね。
-何度も辞めたいと思ったことがあると他誌のインタビューで拝見したことがありますが、そんな厳しい中でも続けられたのはなんででしょうか?
厳しさの中に優しさがあるのを感じていたからだと思います。
例えば、植村に怒られたり、失敗した時には必ず誰かがフォローしてくれる体制が整っていました。植村が周りに(その人を)フォローするように頼んでいたんだと思います。それに何かを任せられた時は、ただやらせるだけではなく 必ず最後まで見届けてくれていましたし、その途中のプロセスで成長させるこ とを重要視していました。
-教育者としても業界内で多大な影響力がありましたが、サロンではどんな教育を受けていましたか?
とにかく「人」をよく見て、接し方、育て方を変えていましたね。 人を育てる上で、どのタイミングでどんな試練を与えれば成長するのか、さじ加減が分かっている人です。
僕も多くの試練を与えられましたね。僕の弱い部分や長所を理解した上で、弱 い部分に思いっきり触れてくる。それって、すごくストレスになるわけです が、結局は成長につながるんです。時には、植村自らがわざわざ行動で示して 教えてくれたこともありましたね。 教育することとは、「人」を知ること、忙しくてもその人に対してどれだけ時間とエネルギーを使えるかが大事、と言っていたことを思い出します。
-エネルギーとは?
自分に厳しくすることは誰にでもできると思うんです。でも他人にも全力で厳しくすることはなかなかできない。厳しくすると、その人が追い込まれて、辞めてしまったり、それ以上に悪いことが起こってしまうかもしれない、ある意味怖いこと。他人に厳しくするためにはその人に対して人生の責任を負う覚悟とエネルギーがないとできないです。
植村が亡くなってから強く感じているのは、DADAのリーダーとして植村は一人でよくあんなにやっていたと思います。クリエーションもサロンワークもスタッフ教育も。みんなを引っ張る力強い存在であり続けました。表面的ではなく、本当の意味で優しい人。いざとなったら必ず助けてくれるし、絶対的な信頼感がありました。