恩人たちからの学びを活かし「自分たちの時代」をつくっていきたい -iro.代表 樗木 佑太さんU29次世代美容師-
入社後すぐに東京を代表するレベルの「美容の匠」のもとで学ぶ
入社後、僕は誰に言われるでもなく休日の前は朝まで練習していました。1年目の僕にできることは限られていますが、仕事に取り組む姿勢が評価されたのか、当時のクリエイティブディレクターの専属アシスタントにつかせてもらえることに。何事においても求めるクオリティが最も高い人でした。そんな人に、何もできないポンコツだった僕のようなアシスタントがつくのは異例です。
最初につかせてもらった人のレベルがめちゃくちゃ高かったし、それが自分の基準になったことはとても大きかったと思います。ディレクターが求めるレベルに自分が到達できず、もがいてばかりでしたが、足りないところは自分の時間を使って克服するしかないわけです。高いレベルでできるようになるまで、やり続けました。
直属の先輩である齋藤 剛さんにも随分と助けられました。当時、斎藤さんは超優秀なメインアシスタントで、僕がサブアシスタントという関係。僕ができないところを斎藤さんがフォローしてくれました。それ以降、今に至るまで斎藤さんには良くしてもらっています。Instagramの構築についてアドバイスをくれたのも斎藤さんですし、恩人の一人です。
仕事に厳しい人たちについたおかげもあり、同期の中では技術の習得が早いほうでした。個人的に、美容師の仕事を習得するためには「回数」が重要だと感じています。だから僕は3カ月で1000回やって覚える仕事があるとしたら、1カ月で1000回やる方法を考えました。どれだけの回数をどれだけの期間でやるか。そこに尽きると思います。
代官山店で大恩人と出会い、影響を受ける
1年目から学びの多い時間を過ごし、表参道から代官山に店舗異動することに。代官山にも看板プレイヤーがたくさんいました。僕はある女性デザイナーのアシスタントについたのですが、この人が本当にすごかった。技術だけではなく、人間としての器がとてつもなく大きな人だったんです。
予約がずっと埋まりっぱなしで、サロン内で一番忙しいくらいなのに、お客さま全員から愛されていました。アシスタントへの接し方も独特で、「なんで怒らないの?」と思うくらい人を叱ることがない。本当はあってはならないことですが、スタイリストから任された仕事を完璧にできないこともあるじゃないですか。ミスすることも、クオリティが足らないこともあると思います。そんなときも「あなたがいいと思うならそれでいいよ」というスタンスで、自分で全部やり直すことはしないんですよ。だからこそ、「絶対に上手くならなきゃ」と思っていました。ガミガミ言われていたら、こうは思わなかったかもしれません。
忙しい人だからアシスタントを使うのは当たり前なんですが、一度、「アシスタントを使いすぎ」と言われていたことがあります。それに対して反抗することもなく「私がもっと速く切ればよかったね」と言っていたことも印象的でした。ちなみに、その先輩は信じられないくらいのスピードで切っている人です。それでも文句一つ言わない。人との向き合い方を学ばせてもらいました。