サロンワークもInstagramも独りよがりを止めたら、流れが変わった -Roamer タカハシ コウヘイさん U29次世代美容師-
希望のサロンに入るためにあの手この手でアプローチ!
専門学校時代は、自分で言うのもなんですが、まじめな学生だったと思います(笑)。1年生のわりと早い段階でOf HAIRが第一希望と決まっていたので、いろいろな方向からアプローチしていました。
いい成績をとるために、先生の心象を意識していたのはもちろん、たとえば、Of HAIRの人が、校内コンテストの審査員をつとめていたときなどは、積極的に自分の作品に対する意見を聞きに行ったりしていました。
サロン選びの決め手は、「本質的な美容を学ぶことができること」でした。僕は一生、美容師をしたいと考えていたので、流行っているサロンよりも、時代に左右されない本質的なサロンがいいと考えていたんです。
技術が体系化されているから基礎をしっかりと身に着けることができるし、基礎があるからこそ柔軟にトレンドにも対応しているところにも惹かれました。
自分の髪を切ってもらうために、Of HAIRに行ったときのことも忘れられません。
担当してくださったオーナーに「先生は将来どうなりたいですか?」と聞いたら、冗談か本気かわからないトーンで「鳥になりたいね」って言ったんです(笑)。その一言を聞いて、「この人のもとで働きたい!」って思ったんですよ。絶対に僕をワクワクさせてくれる人だと直感しました。
交通事故でくも膜下出血…入院をきっかけに考え方が変わる
美容師1年目の僕は、とにかく背伸びしていましたね。
優秀ぶりたいというか、自分を特別な存在に見せたくて、何でも「できます!」と言って自分を追い込んでいました。いろいろと挑戦できたことはよかったんですが、失敗することもありましたね。
周りが認めてくれなくても、とにかく自分の好きなものを貫きたいという感じで、協調性もなかったと思います。「それじゃいけないよ」と何度も先輩に諭されていました。
手先はわりと器用なほうでしたし、要領をつかむのは得意だったので、先輩からすると少々扱いづらい後輩だったかもしれません。
そんな僕が変わったきっかけは交通事故です。自転車に乗っているときに自動車と正面衝突して、くも膜下出血をしました。あと少し打ちどころ悪かったら死んでいたそうです。幸い、後遺症も残りませんでした。
2カ月くらい休んでサロンワークに復帰できたのですが、働けない間、いろいろと考えさせられました。先輩や同期が大勢見舞いにきてくれて、そのことに感動したし、「もうちょっと感謝や思いやり、協調性をもって生きていこう」と考えるようになったんです。
なかでも、僕が事故にあう前から繰り返し思いやりを持つことの大切さを伝えてくれた、Of HAIRの先輩で現Roamerオーナーの福田の影響が大きかったですね。