デビュー前に自分の武器をつくる! 作品づくりに没頭し日本武道館へ -FILMS 小俣恭平さん U29次世代美容師-

クラスメイト40人がライバル! 美容専門学校でセンスを磨く

 

 

日本美容専門学校を選んだのは、『CHOKiCHOKi』に出ている美容師が多かったことが理由です。自分もそこに通えば、おしゃれになれるかもしれないと思ったんですよ。クラスにおしゃれ好きな人が40人いるような感覚で、すごく楽しかったですね。技術を覚えたいというよりは、服を買ったり、ブランドの知識を蓄えたりするほうに夢中でした。だから、たくさん練習したというより、アルバイトで稼いだお金で服やカメラを買ったりしたことのほうが思い出に残っています。

 

もう一つ、美容学生時代の大きな財産は、カンボジアでのボランティア活動です。孤児院でのカットやストリートカットを経験し、その様子をSNSで紹介したりしていました。最初のころ、美容学生でまだカット勉強をほとんどしていないので、戸惑っている僕の姿を見て、ボランティアを運営しているかたが、「いいから切ってみなよ」と背中を押してくれました。髪を切った子どもが喜ぶ姿を見たりして、「美容師は世界のどこにいても人を喜ばせることができる仕事なんだ」と強く感じたことを覚えています。

 

 

 

ちなみに、そのボランティアを通じて、FILMSの代表の一人である笠井智博と出会いました。その当時はまだFILMSは存在していなかったので、今とは全く違うサロンで働いていたのですが、この出会いが僕の人生のターニングポイントになりました

 

有名サロンを辞めてFILMSのオープニングスタッフに

 

 

美容学生時代には、都内の有名店で、レセプションとして働いていました。サロンの広さは200坪、スタイリストは20名以上、ピーク時には8人同時にお客さまがエレベーターから降りるくらいの多忙な環境。レセプションという立場でしたが、アシスタントやスタイリストの仕事を垣間見ることができたのはよかったですね。

 

卒業後は60名くらいの同期とともにレセプションとして働いていたサロンに入社。同期より先に、レセプションとして働いていたこともあり、先輩たちには期待をかけられていたと思います。でも、カリキュラムの進捗スピードは、平均より少し速いくらいでした。そして、ちょうどカットの練習が始まったくらいのころに、笠井から銀座の寿司屋さんに誘われたんです。そこで「一緒に働かないか?」というお誘いをもらいました。その瞬間、「これは運命かもしれない」とピンときたんです。自分がこれまで経験したり感じたりしてきた点と点が結ばれる絵が頭の中に浮かび、気づくと「はい!行きます!」と即答していました。

 

 

もともと僕は人と違うことがしたいと考えるタイプ。新しいサロンなら、僕の新しいチャレンジも評価されるかもしれないという期待もあったんです。FILMSに入ると決めた瞬間、一気に新しい環境でのびのびチャレンジしているイメージが膨らみました。

 

>コンテストでの失敗が、負けん気に火をつけた

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