「自分の名前で勝負したい」スケボーが導いた数奇な美容師人生 -ainico.+(フリーランス) 佐藤拓人さん U29次世代美容師-
次世代美容師として注目される「U29美容師」のサクセスストーリーから、成長のヒントを「美容師のタマゴ」へお届けする企画「U29次世代美容師」。第40回目は、原宿のainico.+でフリーランス・ヘアデザイナーとして活躍中の佐藤拓人(サトウタクト)さん。何気ない日常のなかで女性が輝く一瞬を切り取ったような、ナチュラルで透明感のあるボブスタイルで好評を集めています。人気店WAVY’Sを離れ、フリーランスとして活動を始めたばかりの佐藤さんに、これまでの歩みとこれからの展望について話していただきました。
良質なファッションやデザインに囲まれて育った幼少期
僕の母親はファッションブランドで仕事をしていた経験があり、父親はグラフィックデザイナーをしています。だから、子どものころから質の高いファッションやクリエイティブを見て育ちました。美容師の仕事に興味を持ったのは両親が通っていた美容室で働くアシスタントのお兄さんに憧れたから。親が髪を切る間、かまってもらった記憶がありますし、自分もいつかお兄さんのようになりたいと思いました。
小中学校では野球漬けだったので、坊主頭だったしオシャレとは無縁の世界で過ごしましたが、高校では再びファッションにどっぷり浸かりました。毎週のように原宿に通っていると、だんだんと仲間も増えてきます。当時はまだ小さかったアソビシステムで、きゃりーぱみゅぱみゅちゃんをはじめとする、今「原宿のアイコン」と呼ばれる子たちと一緒にファッションショーをしたこともあったんですよ。もうひたすらに熱中して、自分たちで衣装やメイクをしてつくり上げました。
高校卒業後、周りのみんなは文化服装学院に進みました。山野美容専門学校に進んだのは僕だけ。ファッションと美容、どちらの道に進むか迷いましたが、決め手になったのは、美容師からファッションスタイリストになった著名なかたからのアドバイス。父親の紹介でじっくり話を聞いてもらう機会をいただき、話すなかで「もう美容師になるって決めてるんじゃない?」と背中を押されて、美容の道を進むことにしました。
第一志望のサロンは不合格…偶然見つけたサロンに入る
美容専門学校では真面目でも不真面目でもなく、何でもそつなくこなすタイプの学生でした。すごく生意気なんですが、高校生のときにクリエイティブを目一杯やってきたこともあり、学内のイベントにはあまり力が入らなかったんですよ。一方で、文化服装学院の学生がつくっている雑誌で、ヘアメイクをしたことはありました。一緒につくった子たちは、クリエイティブなパワーを持っていましたね。
就職活動では、東京で一番センスがいいと言われることもある有名店を受けました。でもそのサロンに落ちてしまったんです。仕方がないので気持ちを切り替えて、サロン見学をすることに。代官山のサロンを見学したあとに偶然見つけたのが、最初に勤めたサロンです。カッコいいなと思ってそのまま階段を下りて、「ここで働きたいんですけれど」と言うと「履歴書ある?」と言われました。その日の夕方に履歴書を提出して、そのまま入ることが決まったんですよ。ちょうど人が辞めるタイミングだったようです。
みんな同じだと思うんですが、アシスタントの仕事に慣れるまではめちゃくちゃ大変でした。でも、僕は仕事も遊びも100%でやりたいタイプ。できるだけ早くサロンにいき、しっかり練習して、仕事が終わったら夜中の3時くらいまでスケボーをするという生活をしていました。