「不自由なく暮らせればいい」OCEAN TOKYOに入るまで野心の欠片もなかった -OCEAN TOKYO 雨宮 雄三さん U29次世代美容師-(後編)

 

怒涛の1カ月の後は、とにかく早くスタイリストになりたいと思っていました。僕はOCEAN TOKYOのオープニングからいたわけじゃないから、あとから入った僕が、もともといたメンバーよりも早くデビューしたら、納得してもらいづらい。全員に認めさせるためには、やはり実力と結果で示すしかないと考えました。OCEAN TOKYOは年功序列ではなく、結果を出すヤツが認められるサロンだからです。

 

そこから自分の気持ちにエンジンをかけて、半年後にスタイリストデビューしました。練習嫌いの僕が、一番練習した半年だったと思います。ただし、練習に時間をかけさえすればいいとは思っていませんでした。終わりの時間を決めて、その時間がくるまで集中してやる。「今日は1時間!」という感じで、終わりを決めないとダラダラやってしまうから。

 

 

めちゃめちゃ練習しているのに上達しない人は、練習のやり方が上手くないんだと思います。誰かに言われた練習メニューをただこなすだけだったら、進歩がない。たとえば、カットの練習をして、それを先輩に見てもらって、ダメだったところを反省する。なぜダメだったのか徹底的に考えて、どうすれば解決できるのか頭の中で整理できてから練習に取り組むことが大事だと思います。

 

まさかの3人同時デビュー! 絶対に負けられない戦いがはじまる

 

 

スタイリストデビューは3人同時でした。「競争心」が生まれたのはそのときが初めてだったと思います。3人同時にデビューしたら当然、どうしても他の2人と比べられてしまう。「絶対に負けたくない」と思っていましたね。

 

2人に負けないために僕がしたこと。それは、積極的な情報発信です。たとえば、ホットペッパーのページを注目されやすいように写真や文言を工夫したり、ブログをつくってそこで自分のウリを紹介したり、SNSでそれを拡散したりと、できることは何でもやりました。

 

 

3人ともいい勝負でしたが、デビュー3カ月後の12月、僕は月間技術売上218万円でトップに。200万円という目標を達成するために、泥臭いこともしてきました。ブログやInstagramをあげるのはもちろん、「まだ予約できます」と直接的な集客もしていたんですよ。個人的に、「まだ予約できます」って言うことが許されるのは、デビュー後半年くらいまでだと思っていて。だって、誰だってヒマな美容師に任せたくないし、僕もそう思われたくありませんから。デビューしたばかりだから許されることだと思ってやっていました。

 

それともう一つ、自分がずっとパーマスタイルということもあり、同じようなパーマスタイルをしたいというお客さまを増やしてきました。SNSでパーマスタイルを推していたし、サロンでも「パーマでセットが楽になるよ」とお勧めしたりしていましたね。

 

>一週間先まで予約が埋まっていないと不安になる

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