いくつもの壁を乗り越えた先に、「自分色」を出せるステージが待っている -KILLA 山下未紗さん U29次世代美容師-
練習があまり好きではなく、先輩に「練習不足」と言われたことも…
せっかく望んでいた環境で働くことができたのに、私は自分で効率よく練習することが苦手でして…。先輩から「練習不足だよ」と指摘を受けることもありました。しかも不器用なので練習をしてもすぐに覚えられず、落ち込むこともありましたね。田舎のゆったりとした時間のなかで育ってきたので、東京のスピード感にも圧倒されていました。叱られて泣きながら家に帰った日もあったんですよ。
でも、私が叱られて落ち込んでいることは、お客さまには関係のないことです。「自分中心の考えで仕事をしてはいけない」と思って、落ち込んでいる様子を見せないように、できるだけ笑顔で、元気におもてなしをするように心がけました。正直辞めたいと思ったこともありましたが、そんなときは先輩や同期が支えてくれたんです。もともと私は精神面が弱かったのですが、アシスタントの経験を積むことによって少しずつ鍛えられていきました。
幸運にも撮影の仕事をたくさん持っているスタイリストの専属アシスタントにつく機会もありました。自分が見つけたモデルさんが採用されたときはうれしかったですし、撮影の現場で、「これはかわいい、これはダメ」という具合に撮影画像を選別する様子を見られたのもいい経験です。髪だけではなく、メイクや衣装について学んだことも今につながっています。
優秀な美容師のもとで働き、「基準」を上げることができた
私が一番成長したなって思えるのは、銀座の店舗で働いていたころです。銀座店の代表はとにかく仕事が速く、丁寧で、配慮も細やか。撮影のときは、当日の撮影よりもむしろ、衣装から何から徹底的に準備をしている姿が印象的でした。だから、今私が撮影をするときも、「あの先輩はこういう準備をしていたな」と思い出すことがあるんですよ。
至らない点をたくさん指導していただきましたが、仕事に求められる質が高かったからこそ、自分の基準を上げられたことはよかったと思います。それに、どんなに忙しくても、お客さまの仕上げが終わると、みんな笑顔でサロンを出て帰っていきました。その様子を見ると、自分もうれしくなりましたね。
ようやくスタイリストとしてデビューしたのは美容師5年目のころ。銀座という土地柄、大人の女性が多く、20代中盤の私にとっては戸惑うことも多かったです。お客さまがいないので、有楽町駅などの人が多い場所に行って歩く人に声をかけるなど、お客さまを集める努力をしました。連絡先を聞いたら必ず連絡を入れて、漏れがないようにチェックしたりなど、徹底的にしていましたね。
その一方で、アシスタント時代にハントしたモデルさんに連絡すると、しばらく会っていなかった場合でも「ひさしぶり。会いにいくよ」と私のもとにきてくださったことがありがたかったです。お付き合いの長いモデルさんのなかには、彼女ができて、プロポーズして、結婚して、子どもができて…という人もいます。こんなふうにお客さまの人生に寄り添っていけるところが、美容師の仕事の素敵なところ。モデルハントはとても大変でしたが、無駄ではなかったんだな、と思いました。