ギターを携えた歌い手が、ハサミを操る詩人になるまで -ade omotesando 千葉雄平さん U29次世代美容師-
次世代美容師として注目される「U29美容師」のサクセスストーリーから、成長するためのヒントを「美容師のタマゴ」へお届けする企画「U29次世代美容師」。第13回目はオウンドメディアで、ニュアンスヘアに詩的なダイアリーをそえた作品を展開している千葉雄平(ちばゆうへい)さん。その作風からシリアスなキャラに見られがちな彼ですが、ざっくばらんにこれまでの軌跡を語ってくれました。
学費免除の特待生が、音楽に傾倒しバンドマンへ
子どもの頃は優等生タイプで、生徒会長をやったり、毎日のように塾に通うなど、勉強面でも努力していました。その結果、学費免除の特待生として、大学に進学する前提で高校に入学できました。でも、いざ学校生活がはじまると、1日に8・9限まで勉強する環境に身を置くことに…。そんな毎日に僕は息苦しさを感じていたんです。ちょうど心もカラダも大人になりかけの不安定な時期だったせいか、少しずつ優等生コースから外れていきました。
高校2年生からはバンド活動に没頭。邦楽ロックのコピーバンドからはじまり、オリジナル曲をつくるようになりました。僕は作詞・作曲、ギター・ボーカルを担当。「人間とは」とか「恋愛とは」とか「自分をとりまく世界に対して感じていたこと」とか、そういう内容がテーマで、高校生ならではの不安定な気持ちを歌詞に表現していました。
高校に入学したころは教師を目指していましたが、卒業が見えてくるころにはすっかりその目標は消えていました。ただし、僕は目指すものがないと前に進めないので、きちんと進路を決めたいと思い、自分なりに考えました。まず、厳しかった学校生活への反発で、「スーツを着て働きたくない」という気持ちがあった。東京に行きたいという漠然とした希望もありました。
音楽を続けたい気持ちもありましたが、一旦、それ以外の道を選ぶことに。そこで思いついた仕事が美容師しかなく、美容専門学校に進むと決めました。「それしかないな」って思えたんです。
就職先が見つからないまま卒業し、ほぼニートに
高校卒業後は日本美容専門学校に入学。やる気がそこまであるタイプではないけれど、やると決めたらとことん貫くタイプなので、節目、節目のコンテストは頑張っていました。
2年生のころは彼女と同棲していました。彼女は忙しいサロンで働く美容師だったので、深夜2時に寝て、朝6時に起きる生活。僕が彼女を起こしてあげることが多かったのですが、彼女を送ったあとは決まって二度寝(笑)。寝坊して遅刻したり、授業中の眠そうな顔が目立つようになり、先生からも「その彼女とは別れなさい」と言われてしまいました。
専門学校在学中は、高校の時に抱いていた音楽の道も考えていたのですが、最終的にはバンドメンバーが見つからず、「こういう運命なのかな」と思ってあきらめました。
2年生の8月から就活が本格的にスタート。在学中に僕が受けたのは代官山にあるサロン1軒のみ。1回目は試験の課題の提出時間に間に合わず、最終試験で落ちました。それでも、いても立ってもいられず、落ちたその日にそのサロンに予約をし、実際にオーナーと話をして、2次募集にも応募。ところが今度は書類審査で落ちてしまいました。「ヘアと写真と言葉を絡めた写真集を出したい」と夢をアピールしていましたが、やる気だけでは通用しないことを思い知りました。最終試験での失敗もあってか、サロンの人たちに、怠惰な一面を見せてしまっていたのもマイナス要素だったのかもしれません。
結局、行き先が決まらないまま卒業し、ほぼニートの生活に突入。たまに単発のバイトをするくらいで、あとは映画を観たり、彼女とデートをしたりして過ごしていました。ときどき、気になるサロンに応募しては落ちてしまう…そんな日々を送っていました。