専門時代の涙と6年半の下積みが今につながっている ーDADA CuBiC 新田みなみさん U29次世代美容師 ー

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次世代美容師として注目される「U29美容師」のサクセスストーリーから、成長するためのヒントを「美容師のタマゴ」へお届けする企画「U29次世代美容師」。第七回目は、東京ビューティコングレス2016で ジャーナル賞を受賞、ヘアカタ・雑誌の掲載常連で、ファッション・メイクにも定評のあるDADA CuBiC新田みなみ(にったみなみ)さんのバックグラウンドを探りました。

 


 山道を駆ける陸上少女だった中学時代

 

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生まれは京都府の伊根町。若狭湾に面しており、船の収納庫の上に住居がある「舟屋」が有名で、観光が盛んな町です。小学校の図画工作の授業でも、建ち並ぶ舟屋や海をモチーフに風景画を描いていました。風が強い日、あとちょっとで絵が仕上がるところで、画用紙が飛ばされて海に落ちたことも…。根気よく書き直したことが記憶に残っています。

 

中学校ではソフトボール部と陸上部を兼任。ソフトボールの練習が終わったあと、陸上の練習のために坂道を走って登ったり、降りたり…。今思うとかなりの運動量でした。頑張った甲斐があり、県大会で上位に入賞したこともあります。あのころに培った体力が今も役立っているかもしれません。

 

ファッションに興味を持ったのは高校生のころ。雑誌を見るだけじゃなくて洋服の絵を描いたりもしていました。美容師になりたいという強い気持ちはなかったんです。子供が好きなので保育士になろうかなと思ったこともあるくらい。身近にいた美容師を熱望している友人の影響で、美容師という仕事をリアルに考えたことが、進路を決めるきっかけになりました。

 

頑張っている人が集まり、自然と仲良くなる

 

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高校卒業後、関西美容専門学校に入学。いくつか学校見学をしたなかで、カットにこだわりがあって、イベントが多いところに惹かれました。最初は一人でひたすら練習。不思議なもので、一生懸命にやっていると、同じように頑張っている人たちと仲良くなるんです。練習仲間がひとりふたりと増えていきました。

 

モチベーションの源のひとつは、校費でのロンドン留学。そこに向けて必死に練習していて、途中まではそれなりに優秀な成績だったのですが、最後の最後で伸び悩んでしまいまして…。選ばれた人の名前が発表されたとき、私の名前は呼ばれることもなく…。みんながいる前で悔しくて泣いてしまいました。留学を目標に頑張っていることをみんな知っていたから、誰も私に声をかけられないような状態。でも、悔し涙を流せるくらい頑張ってよかったと思います。

 

専門学校生活の集大成としておこなったヘアショーも忘れられないです。創作の得意な人、リーダーシップがある人など、メンバーがそれぞれの得意分野をあわせて創りあげました。私はそのなかで衣装を担当し、黙々と納得できるものを作り込みました。当時からヘアはもちろん、ファッションやメイクまでトータルでバランスを見ることを強く意識していましたね。

 

>最初の3年間は毎日のように辞めたいと思っていました

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