OCEAN TOKYOとして。兄弟として。夢へむけて固く誓った、二人の約束とは? -OCEAN TOKYO/高木琢也・陽介 兄弟ヒストリー【後編】
安パイな道を脱却。先は見えずとも、兄とワクワクする未来へ。
−「兄弟だな」と思った瞬間ってありますか?
琢也:東日本大震災のときですかね。サロンも混乱していたし、いつスタッフが帰れるかもわからない状況。陽介のことが気がかりで店の前をわざわざ通って。チャリで弟が帰る姿を見届けて、僕は歩いて帰った。ふと「家に何にもないな」と思い出して二人分の食料を買って帰ったんです。家につくと、まさかの食料がいっぱいあって。先に帰った弟が、同じように買い込んでくれていました。
陽介:「せめてこれだけは必要だな」と考えて買って帰ったら、兄と全く同じものを買っていたんだよね、カップラーメンとかお水とか。
琢也:そうそう、しかも同じ数(笑)! あれはビビったよ。
もう一つ覚えているのが、僕が前サロンを退職することになったときのことかな。店の前で「ありがとうございました」って泣きながら店長に退職の言葉を述べているタイミングで、陽介がチャリでシャーーって通り過ぎたの。
陽介:やばいシーンを見てしまったと逃げるように去りました(笑)その後しばらくして独立の話を聞いたんですよね。
琢也:親父と何度か話して「陽介は兄についていけ」と親父が助けてくれて。そしたら、陽介のデビューが二か月先に決まっていたんだよな。
−陽介さんはどんな思いだったんですか?
陽介:正直すっごく迷いました。場所も名前も決まっていない、何の保証もない状態ですし。兄弟で働いてうまくいくのかわからないですし。
-決め手となったのは?
陽介:「もっと面白い景色を見せてやる。だから、来い!」と兄が言ってくれて、その言葉に心が動きました。「どんな景色なんだろう?」と想像してみたら、ワクワクしてきて。今まで無難な道を選んできたんですよ、安心安全な。けど、先の見えない道もおもしろいのかもと思えました。
兄から告げられた日から1か月後、僕も退職。当時の師匠やサロンには迷惑をかけてしまいましたし、周りからも「バカなんじゃないの?」と呆れられました。それでも僕は「やってみなくちゃわかんない、やるしかない!」と、気合十分でしたね。