OCEAN TOKYOとして。兄弟として。夢へむけて固く誓った、二人の約束とは? -OCEAN TOKYO/高木琢也・陽介 兄弟ヒストリー【後編】
美容業界で最も注目の高木兄弟にQJナビDAILYが独占取材! そろってメディアに登場するのが今回が初の高木琢也さんと陽介さん。前編では幼少時代の仲睦まじいエピソードや、琢也さんのデビューチェックのこと、陽介さんの就活逆転劇に触れました。
後編では、美容師の世界に飛び込んだ兄弟のその後について。別々のサロンで働いていた二人が、OCEAN TOKYOで師弟関係となった背景や兄弟で必ず叶えたい夢について、熱く語っていただきました。高木兄弟が人生をかけて狙う、伝説ストーリーとは?
「一緒に住もう」。兄の予想外な提案でスタートした、二人暮らし
−別々の美容室で働きはじめてからは、どんな関係だったんですか?
琢也:陽介が社会人になるタイミングで、兄弟で暮らし始めたんだよね。
陽介:一人暮らしをするために物件を探していた夜、家族全員で夕飯食べてて「俺と一緒に住めばよくね?」と突然提案されて。「え?」って感じでした。
琢也:アシスタント時代は朝早くて夜遅い上にお金もないじゃないですか。陽介のサロンはオシャレなスタッフばかりだったし、服とかにお金を使えた方がいいなと。
練習や準備で忙しくなるから、自転車で通える距離がいいだろうなとか。いろいろ考えて、一緒に住もうと提案しました。
−二人暮らしでは、どんな役割分担だったんですか?
陽介:僕は洗濯担当。兄が家賃、僕が公共料金や日用品を払っていました。
琢也:「お湯でねーぞ!」ってよく言ってたわ(笑)。
あと、毎朝起こすのも陽介の担当。朝早く出てって、深夜に帰ってきてたもんな。
陽介: あのころは3時間くらいしか寝ていませんでしたね。兄に「短くして」とカットを頼んだら、「短く切れないよ、円形脱毛症になってる」なんてこともあった。2年目の春だったかな。
琢也:500円玉くらいでっかいのを見つけて、「やべえな」と。別のサロンで働いていたし、陽介が何に息詰まっているのかわからなかっただけに、心配でした。サロンワークや技術に関して僕がどうこう言えないじゃないですか。兄としては、もどかしかった。
そしたら陽介の先輩と道でバッタリ会って「陽介、リタッチカラーのテスト全然受かんないんだよね」と聞いて。
陽介:兄がアドバイスくれたんだよね。「スライス幅を1センチから7ミリに変えろ」。次のテストで実践して、合格しました。
>安パイな道を脱却。先は見えずとも、兄とワクワクする未来へ。