カットの匠・kazu初登場!理容師から転身、地域密着型サロンでJHAに挑む。高円寺『SYUK』が掲げる”生涯パートナーサロン”計画

 

震災で実家が倒壊。キャリアは思いがけない展開に!

 

——すごく充実した生活を送られていたのに、1年で退社されたのは何かあったのでしょうか。

 

 

東日本大震災がきて、実家が倒壊してしまったんですね。2011 年のことです。とりあえず借金して僕の6畳のアパートに家族二人を上京させたんですけど、美容学校の学費も借りていたのに、その返済にも困るくらいで。そんなときに、地域密着型サロンのオーナーになっていた理容店時代の上司が、僕に声をかけてくれて。江古田(東京都練馬区)のお店にスタイリストとして転職して働く、という流れになりました。

 

そして今の状況をもっと変えたいという思いで、ヘアコンテストにも注力。もし優勝したら有名になるし、売上が上がれば生活も楽になるだろうなと思って。挑戦を続けていると、コンテストの成績が少しずつよくなっていって、2018年にアジアチャンピオンになりました。そこからセミナー講師としてお声がけいただいたり、人生が大きく変わっていったように思います。

 

都心のサロン以外からコンテストに参加する美容師が少なかったので、沿線のエリアでも努力すれば実力がつけられるということで、メディアからも注目していただけて。いろんな業界誌が取り上げてくださり、一度に8作品の制作依頼がきたんですよ。サロンワークをしながら8作品同時ということで、経験がないのでどうしようと焦りましたよね(笑)。でも、結果を出せば新しい展開があるはずだと思ったので、挑戦したんです。そうしたら、その年にJHAのニューカマー部門のファイナリストに残れて、よっしゃー!遂にJHAに辿り着いた!と。

 

 

 

——すごいじゃないですか。その結果は!?

 

それが自信満々で行ったんですけど、その場でいろんな方の作品を見たら、あまりに周りのレベルが高くて恥ずかしくなってしまって…。グランプリと準グランプリをとった二人が感極まって話している姿を見たときに、情けなくなりましたね。もう一度ちゃんと向き合おうと思って、ヘアメイクを学ぶために上田塾に通い始めたんです。そこから殻が外れて、いろいろ結果が出てくるようになった気がしますね。話は少しそれますけど、上田塾主催の上田美江子は僕の叔母なんですよ。

 

——えー! 

 

 

 

>年360万を作品作りに使い、自分のスタイルを確立

 

 

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