「これほどのカリスマは今後絶対に現れない」伝説の美容師・須賀勇介をRITZオーナー金井豊が語り尽くす
1960年代からニューヨークで活躍した一人の日本人美容師がいました。彼の名は須賀勇介。黒柳徹子さんのタマネギヘアの生みの親であり、これまでダイアナ・ロスやジャクリーン・ケネディ・オナシスら著名人のヘアを担当したことで知られる方なのですが、その影響力は絶大で、日本中の美容師が氏に憧れを抱いていました。RITZのオーナー、金井豊(かないゆたか)さんもその一人。今回は金井さんに、「伝説の美容師・須賀勇介」はいかなる人物だったのかを語っていただきました。
須賀勇介プロフィール
1942年2月18日に中国で生まれる。山野美容専門学校を卒業後、都内サロンに勤務。1966年ニューヨークへ行き、「ヴォーグ」「ハーパース・バザー」をはじめとする老舗雑誌や広告のヘアスタイルを担当。やがてニューヨーク57丁目に「スガサロン」をオープン。日本では「スタジオV」のディレクターを務めていた。ケネディ元大統領夫人であるジャクリーヌ・ケネディ・オナシス、フェイ・ダナウェイ、ダイアナ・ロスなどの著名人に愛され、彼女たちのヘアスタイルを担当。黒柳徹子の「タマネギヘア」やフィギアスケーターのドロシー・ハミルの「ハミルカット」を考案したことで知られている。1990年9月14日にこの世を去った。享年48歳。
日本とN.Yを股にかける美容師・須賀勇介の姿を追って
須賀さんとの出会いは中学2年生のとき。たまたま本屋で手に取った、『男のヘアスタイル』とかそんなタイトルの本をパラパラ見ていたら、“日本とN.Yを股にかける美容師”みたいな記事があって、それが須賀さんだったんです。それを見て、カッコイイ!って衝撃が走りました。当時(1970年代)は、日本人が簡単に渡航するような時代じゃなかったから「スゲーこんな人いるんだ!」って。その瞬間、「よし美容師になろう」って決めたんです。
その後は、ただ須賀勇介という人物への憧れが前提にあって、美容師を目指したという感じでしたね。だから、須賀さんが卒業した山野美容学校に進学して、須賀さんがディレクションしている「スタジオV」というサロンが原宿にあったのでそこへ就職しようと迷いなく一直線。どうしたら受かるかな? と思い、「スタジオV」の上にあるカフェでバイトを始めたんです。そうすれば、スタッフと顔見知りになるじゃないですか。結果的に、当時は倍率200倍と言われていた「スタジオV」に受かりました。
アシスタントの頃は話す機会も仕事を見られる機会もなくて、遠くから「あ、須賀勇介だ!」って思う程度。憧れの人と会った感覚でしたね。直接話せる距離に近づけたのは、入社から2年経ってから。僕は入社後2年でスタイリストデビューしたんですが、同時に新宿伊勢丹にできた新店のディレクターを任されて、雑誌のヘアメイクも始めるようになりました。
当時は“ティーンの金井”って呼ばれるほど、「オリーブ」とか「エムシーシスター」とかティーン誌ばっかりやっていました。でも段々と、「流行通信」とか「ハイファッション」とかモード系の雑誌もやりたくなってきて、一回“ティーンの金井”をリセットしようと思ったんです。それで、ちょうど須賀先生が日本に帰ってきたときに「N.Yのスガサロンで働かせてほしい」と直談判。そしたら2週間後くらいに社長から「須賀さんから電話がきて、今すぐきてほしいって」という展開になり、N.Yへ渡米することになりました。