「サロンに所属しているから成長できる」30代目前のTHE STRAMA春宮雅之さんの選んだ道にあるものは
STRAMAのパーマを世の中に打ち出したい
デビューしたのは入社4年目。当時はハイトーンブーム全盛で、自分と同じくらいのタイミングでデビューした同世代の美容師たちは、みんなハイトーンありきのブランディングをしていました。もちろんハイトーンのデザインも魅力的なのですが、なんとなく自分はそのブームには乗りたくなかったんですよね。一つに絞るのではなく、カットもカラーもパーマもできる美容師になりたいという想いがありました。
僕はもともとくせ毛で、高校生のときにパーマをかけたことですごく人生が変わった経験があったのと、当時パーマを売りにしていた美容師さんたちが、パーマはもちろん、ストレートタッチのデザインでもカットがすごくうまい人が多かったんです。だから、自分もパーマで打ち出していこうと決めました。STRAMAの中でパーマをメインで手掛けている美容師がいなかったことも理由の一つで、STRAMAのパーマスタイルを盛り上げて世の中に打ち出していきたいという気持ちもありました。
最終的にパーマを推していくと決めたのはデビューの半年後のことで、それがちょうど、そのすぐ後にコロナ禍に入るくらいのタイミングでしたね。その当時、一部ではありますがハードパーマブーム起きていて、ファッション感度の高い女性の中でスパイラルくらい細かくて強めのパーマが人気になっていたんです。まずはその人気に乗っていこうと決めて、ハードパーマのスタイルを打ち出しました。
ハードパーマって骨格に合っていないと、いわゆる“おばちゃんパーマ”になってしまって、最初の頃はひたすら試行錯誤していましたね。「おしゃれなパーマってなんだろう?」と日々考えていました。
STRAMAは、代表やスタイリストみんなが一人の作ったスタイルについて、「もう少しバランスをこうした方がいい」とか「こうした方がこのモデルさんに似合う」など意見を出し合っていて、自分の技術を高められるんです。その中でわかってきたのが、パーマがうまい人はスライスを取るときのほんのささいな微差で骨格にフィットさせているということでした。
スタイルを作るごとに自分でも「もっとこうした方がいいな」と振り返ったり、工夫する…というのをサロンワークでも撮影でも繰り返していくうちに、だんだんと自分の理解につながっていき、骨格や髪質ごとにパーマを似合わせることができるようになっていきました。
ただ、ハードパーマってやっぱりニッチなスタイルなので迷うこともあって。SNSや売り上げが伸び悩んだ時期に、豊田に「やっぱりハイトーンをやった方がいいですかね?」と相談したこともありました。そこで返ってきたのは「いや、自分の選んだ道を続けなさい」という答え。その言葉を信じて続けたことで集客に繋がり始めて、パーマスタイルの撮影も来るようになり、継続することの大切さを学ぶことができたんですよね。