【オリジナル髪質改善】Snowf代表・関野敏匡が追求する「艶髪」の真髄とサロン経営。90%という驚異のリピート率で急成長

 

 

 

2020年、銀座の一等地にサロン『Snowf ginza(スノーフ・ギンザ)』を立ち上げ、コロナ禍にも関わらず瞬く間に予約が取れないサロンへと成長させた関野敏匡(せきのとしまさ)さん。上品な女性像に欠かせない”艶髪”を追求し、髪質改善「微力還元トリートメント®︎」を数年かけて開発しました。11種もの薬剤を組み合わせ、お客さま1人ひとりに合わせてオーダーメイドで提供するトリートメントは、約90%という驚異のリピート率を誇る人気メニュー。こだわりが詰まったオリジナルのホームケアプロダクトもローンチし、大人気商品となっています。「ヘアケアを通して人を豊かに」をコンセプトに邁進する関野さんに、Snowf立ち上げまでの話や薬剤開発エピソード、目指す未来像などについて聞きました。

 


 

アスリート出身。有名店でアシスタント歴4年

 

――関野さんは高校時代、強豪バレーボール部で主将だったとか。プロアスリートへの道もあったと思いますが、美容師になろうと思ったきっかけは?

 

姉がヘアメイクをしていて、あるとき『東京コレクション』の現場に呼んでくれたんです。僕は高校から寮生活でバレーボール漬けでしたし、頭は坊主でいつもジャージを着ているような学生だったんですけど(笑)、そのコレクションで初めて美容業界の裏方を体感し、「こんな世界があるんだ」と衝撃を受けて。かっこよさへの強烈な憧れですよね。それがきっかけで、美容師になろうと決めました。




専門学校を卒業後は、かなりの倍率だったのですが、念願だった都内の有名店に入社しました。同期は10人でした。部活である程度厳しい世界には慣れているつもりでしたが、働き始めてから挫折は何度も味わいましたね。スタイリストたちはサロン以外でも、売れっ子講師としても活躍していて、全国のセミナーに飛び回っていました。アシスタントだった僕もスタイリストと一緒に出張し、そのたびに大勢のみなさんの前で説明するという役目があって。最初の頃は思うように話せず苦い思いをしたのを覚えています。でも先輩から手厚く指導していただき、中身の濃いアシスタント時代を過ごし、24歳でスタイリストデビューしました。美容師として必要な基礎は、しっかり学ばせていただいたなと思っています。






――デビューして、すぐに退社したのはなぜですか?

 

20歳のときに、「デビューしたら退社する」と決めていたんです。若さゆえの僕なりのビジョンがあり、根拠のない自信もあったんですよ。ひとまず長野の実家に帰り、家業を手伝いながら次のステージについて考え、1ヵ月後に再び上京。当時は面貸しなどもなかったので、知り合いのサロンオーナーに交渉して席を貸していただきフリーランス美容師として再出発しました。

 

集客は友達を呼ぶことから始めたんですが、ありがたいことに知らぬ間に紹介が増えていって。とはいえ1年目は暇な時間もあったので、空いた時間にはビジネスやマーケティングの勉強をしてましたね。翌年から予約が2週間待ちになり、忙しくサロンワークをしていたんですが、途中から経営者になりたい気持ちが芽生えてきちゃって。それで26歳のときに友達と飲食店やウェブ事業を立ち上げたんですね。ですが、結果的にうまくいかなくて。その経験から、自分が本当に好きなことで熱量があるものじゃないと、続かないということに気づいんたんですよね。そこから、もう一度、美容師としての自分の立ち位置を見つめ直し、”好き”を追求していくようになりました。






>働く女性に”艶髪”の魅力を発信し、爆発的人気に


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