フォロワー35万人YAMATO。24歳で新潟から上京、バレイヤージュを武器に飛躍し、shion代表へと進化。地道な技術鍛錬の日々と次世代サロンへの思い
ハイライトによる美しい立体感が特徴の「バレイヤージュ」領域で、国内外から注目を集める『shion(シオン)』代表・YAMATO(ヤマト)さん。Instagramのフォロワー数は、驚異の35万人。海外セレブのような洗練されたヘアカラー写真から、高度な技術力を感じ取ることができます。しかし、そこに至るまでの道のりは決して順風満帆ではなかったそう。新潟のブランドサロンでスタイリストデビューを果たすも、集客に苦戦。数年後、SNS集客を学ぶために一念発起して上京しました。思うように売れない時期を2度も経験したYAMATOさんは、どのようにトッププレイヤーへと成長したのでしょうか。出店までの経緯も含め、YAMATOさんのこれまでに迫りました。
24歳で新潟から上京し、ALBUMに参加
――YAMATOさんは、もともと新潟のブランドサロンで働いていたとか。スタイリストデビューも新潟ですか?
そうです、新潟でデビューしました。4年半そこに在籍していたんですが、カリキュラムがしっかりしているぶん厳しかったので、デビューまで7〜8年かかるのが当たり前のサロンだったんですね。僕は練習を重ねて最速でデビューできたんですが、デビューしても集客は自分でしなければならなくて。駅前に立ち、朝から終電まで客ハンをしていました。時代的には、SNS集客じゃないですか。なので、SNSを学ばないと将来的に人生を豊かにできないんじゃないか…と思いましたし、技術も磨きたかったので、意を決して東京行くことにしました。当初はとりあえず2年だけと思っていたのですが、結果的に東京でいろんな出会いがあり、そのまま残って頑張っていくことになって。
上京して働き始めたのが、当時インスタで一番バズっていたALBUMです。配属が銀座店で、そこで今『shion』を共同経営している伊藤(伊藤佑記)と石澤(石澤諒)と出会ったんですよ。ラッキーでしたね。この2人には本当にいろいろとお世話になって、売れずに落ち込んでいるときもよく声をかけてもらって、飲みに連れて行ってもらいました。話を聞いてもらったり、アドバイスをもらったりして、それを励みにして頑張ってましたね。
――ALBUMでも苦戦した時期があったんですね。
ありました。前社と違ってフリー客はたくさんいるので入客はできるんですが、朝から夜遅くまでサロンに立っているのに指名が全然つかなくて。というのも、僕はカラー領域で特化した技術がなかったんです。新潟では全ての技術ができて、いろんなお客さまに対応できるのが当然という環境でしたけど、東京はひとつのジャンルに特化してSNSを回さないと、埋もれてしまうんだな…と痛感しましたね。