時代遅れの就活本を捨て「自己理解」をはじめよう
「自己分析」よりも「自己理解」を勧めるワケ
「自己分析」という言葉は多くの人が知っていると思います。自分の過去の経験を掘り起こして、文字通り自分のことを深く理解するために分析する、というものです。それに基づいて自己PRなりを作っていくのが“過去の”就活の王道でしたが、今の時代は通用しません。なぜなら、せっかく選んだ会社も合併したり、違う事業を始めたり、もしくは消滅したりなど、予測できないことが多いわけで、筋書き通りにいくことのほうが稀だからです。
それに、人は成長とともに価値観も変わるものですし、尊敬できる人との出会いによってビジョンが書き換えられることもあります。過去の経験に縛られすぎるのはあまりいいこととは言えません。これが、私が「自己分析」ではなく「自己理解」を推す理由です。
では「自己理解」とは何か。私は学生に聞かれたとき、「健康診断と偏差値のようなものだよ」と答えます。「健康診断」というのは今の自分の心の状態を把握することです。
就職活動中は日本全国に「日本を元気にしたい」という夢を語る学生さんが増えます。これは面接のために用意した夢であって、本気でそう思っている子は少ないのではないでしょうか。似たようなところで、広告代理店や商社に行きたい子が、「御社に入るために生まれてきました」と言わんばかりに、過去の経験をこじつけることもあります。これは健全な心の状態ではないですよね。
「偏差値」というのは、社会に必要とされる能力を分かりやすく表現した言葉です。大学入試の偏差値とは異なり、「コミュニケーション」「プレゼンテーション」「ロジカルシンキング」「モチベーションコントロール」「メンタルコントロール」などといった社会人に必要な力が備わっているかどうかを振り返るためのものです。
健康診断で見えてきた「本当の自分らしさ」と、社会人に求められる「ソーシャルスキルの偏差値」を把握していれば、就職におけるミスマッチが減ると考えています。
今と違う環境に飛び込んで「不足感」を味わってみる
「自己理解」を深めたいという人は、普段と違う環境に飛び込むといいと思います。私が学生に指導するときは、「私の会社が実際に抱えていたビジネス課題を解決するアイディアをプレゼンしなさい」といって真剣に取り組ませています。プロの視点で仕上がってきたものを容赦なくダメ出しをするんです。これは学生をイジメるためにやっているのではなく、足りないスキルを知ってもらうためです。
不足点を意識して日々を過ごすと能力が開発されます。コミュニケーション力が足りないのなら、デートのとき、合コンのとき、もしくは家族とご飯を食べながら会話するときに、コミュニケーションを意識して過ごしてみる。何も考えないのとでは全く得るものが違ってくるものです。
なかには意識しなくても伸びる能力もあります。体育会系の学生はメンタルコントロールが上手だったり、ハキハキと話す習慣があるので対人印象が比較的よかったりします。ほかにも、勉強を一生懸命やってきた人なら、ロジカルシンキングが得意かもしれないし、バイトをたくさん経験してきた人ならコミュニケーション力が高いかもしれません。
社会で通用する力というのは、特定の経験や知識、就活のテクニックではなく、こうした「根っこの部分」なんです。