“派手髪”境健助が作り出す鮮烈カラーの源とは?経営者にしてプレイヤー。時代を先読み、好きなものでチャンスを掴む、境流仕事術
表参道のサロン『seen(シーン)』の代表を務める境健助(さかいけんすけ)さんは、コロナ元年にお店をオープン。直後に緊急事態宣言を受けて休業するなど波乱のスタートではありましたが、鮮やかなカラーデザインの“派手髪”を発信し、以前にも増す集客に成功。アシスタント時代は美容業界を離れたこともあったそうですが、常に心の指針に従ってやりたいことを選択してきたそうです。そんな境さんに、カラーデザインの源や仕事術について伺いました。
22歳まで職を転々。”やりたいこと”を実行してきた
僕はもともと自動車整備士をしていて、そこから美容師になるために美容学校に進学したという変わった経歴なんです。美容学生時代はメンズヘアをやりたかったので、新卒で入社したのは都内の人気メンズ店でした。でも、そこでの仕事が自分にはキツくて半年で退職。そのあと一年間は、古着屋の店員をしていました。実際に古着屋で働いてみて分かったことは、自分は服を畳むのが好きじゃないということ(笑)。それでやっぱり美容師に戻ろうと思い、友人が働いていたメンズの有名店に入社しました。ですが、そこもキツくて続かず、結局3ヵ月で退職してしまいました。
次は、女性客がメインのサロンに入社しました。表参道にあるお店でしたが、そこでカラーを本格的にやり始めて24歳でデビューしたんです。撮影したりしながら、順調にお客さまもついていたのですが、普通のカラー施術に飽きてきちゃって。元々飽き性な自分でも楽しめる仕事って何だろうと模索して、いろいろ考えた結果、“ブリーチなしのラベンダーカラー”をSNSで発信。それがバズってお客さまがいっぱい来てくれました。しばらくそのスタイルを作っていたんですけど、ずっとそればかりを作っているとまた飽きてくるんですよ(笑)。バズるのはすごく嬉しいことなのに、同じ仕事をやり続けていると、流れ作業のようになっていくのでつまらなくなってきちゃって…。それでデザインカラーをもっと極めるために、カラーの上手い美容師さんがいるサロンに移ることにしました。
サロンワークでは、他の美容師さんたちのブリーチの塗り方などを見て、勝手に学んでいました。僕はあまり練習が好きじゃなくて、見て覚えたいタイプ。なので、同じフロアで働きながら、カラー技術をずっと見て目に焼き付けていましたね。半年経った頃には、だいたいの技術を覚え、自分でもできるようになっていました。そのタイミングで、開業資金を貯めるために高歩合のシェアサロンに移りました。ちょうど『鬼滅の刃』が流行っていた時期でした。インナーカラーを発信していたんですけど、『鬼滅の刃』の世界観とそれが重なったようで、それもまたバズりましたね。