“スペインカール”の元祖・佐藤龍、初登場。叩き上げのメンズ美容師が海外トレンドに目をつけて老舗サロンを牽引!ブレイクスルーのきっかけは筋トレ!?

 

 

“本の街”として知られ、大学生やビジネスマンが数多く集まる日本有数エリア、東京・神保町。この街の中心地に店舗を構えるのが、メンズ専門サロン『GROOMER/S TOKYO(グルーマーズトーキョー)』です。ここで16名のスタッフを率いる佐藤龍(さとうりゅう)さんは、「スペインカール」の生みの親としてその名を轟かせる存在。18歳で上京して創業1950年の老舗サロンに入社し、現在は美容師歴14年目。今に至るまでのキャリアはどのような道のりだったのでしょうか。スペインカールの誕生秘話も含め、神保町の店舗でお話を伺ってきました。

 


 

入社1年目、ワインディングコンテストで全国優勝を果たす

 

美容師になろうと思ったのは、中学2年の頃です。僕は宮城県出身なんですが、おしゃれ心が目覚めて地元の美容室に初めて行ったとき、雑誌で見る髪型にしてもらえて生まれ変わった気がして(笑)。そこの美容師さんたちがカッコ良かったこともあり、憧れからこの仕事をめざすようになりました。高校の頃には「東京に出てメンズヘアのカリスマ美容師になる」と自分の中で決めていたので、卒業後すぐに上京し、地元の先輩が働いていた老舗のメンズタロー(現・株式会社Neolive)に入社しました。専門学校は通信科を選んだので、働きながら美容師免許を取ることにしたんです。


 

下積み時代は会社の寮から毎日この神保町に電車で出勤し、営業時間外はひたすら練習の日々でした。入社年はワインディングコンテストで優勝をめざすという全体目標もあったので、1年目は夏休みの4日間以外、休日でも自社ビルの練習室にこもって練習に明け暮れましたね。”1日10頭”を目標に掲げて、朝は7時半から営業時間まで5頭、営業後は深夜12過ぎまで5頭やって、毎日終電に駆け込んでいました(笑)。その結果、全国優勝することができたんです。


 

この経験はすごく自信になりました。というのも、僕はもともと不器用で細かい作業が苦手で、最初は同期の中で一番できなかったんですよ。ただ負けず嫌いだったので練習を続けていたら、初めて自分の頑張りが成果として戻ってきた。「ワインディングは美容の基礎だから」と言っていた先輩たちの言葉の意味も、技術を習得してようやく理解できました。スライスやシェイプの綺麗さはお客様の施術に生かせますし、この技術がのちの「スペインカール」にも繋がったわけですから。





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