震災翌日もオープンしないと店が潰れる状態。大赤字でも2店舗目を出店した理由—10年サロン「NORA」のブランディングストーリー前編
赤字でも出さざるをえなかった新店舗『NORA Journey』。それでも、スタッフたちがいたから救われた。
震災でどん底になった前後も毎年5人程度、定期的にスタッフを入れていました。彼らをコツコツと教育することで、少しずつ持ち直してきたのが2013年です。このとき、表参道にニューブランド『NORA Journey』をオープンしていますが、実はこれにはある事情がありました。
きっかけは、当時の『NORA』の店長が独立したいと言ってきたことです。ここで独立されてしまったら、やっと調子が戻ってきているのにまた落ちてしまうと思い、「それならうちから君のブランドを出さないか」と提案しました。
当時は『NORA』のスタートから5年が経ち、ブランドとしても次のアクションを打ち出したいと考えていたころでした。それに、店長の次のキャリアアップを他のスタッフに見せることで、誰かが独立したらみんな続々と独立してしまう、負の連鎖が起きないようにしたいという考えもありました。
資本も全部出す、スタッフも連れて行っていい、最終的に買い取りたいと思えば買い取ってもいい。それだけの条件を提示し、出店に向けて動いていたのですが、一つだけ僕の中で譲れないことがありました。それは、お店の名前のどこかに『NORA』と入れてもらうこと。資本もすべてうちが出していますし、受け入れてくれるだろうと思っていたのですが「それは絶対に受け入れられない」と言われました。
経営の観点から考えれば決して不当なお願いではないと思うのですが、結局その話は白紙になってしまったんです。店の場所も決まっていたので「この店はうちが進めたからうちがやる」といって『NORA Journey』をオープンしました。だから『NORA Journey』は「出さざるをえなかった」店でもあるんです。
このときに独立した彼は、2007年からのオープニングスタッフの一人。オープニングスタッフがやめたのははじめてのことだったので、僕も動揺しました。当時の副社長や取締役が「気持ちを切り替えてやっていきましょう。僕らがついてるんで」と言ってくれたことはありがたかったですね。誰かがやめていくのは避けられませんでしたが、信頼しているスタッフがかけてくれた言葉には救われる思いでした。
- プロフィール
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NORA
代表/広江 一也(ひろえかずや)
1974年生まれ。奈良県出身。高校卒業後、大手建設会社の基礎工事部門で勤務。関西美容理容専門学校(現グラムール美容専門学校)を経て都内有名店に入社し、10年勤務。店長などの要職を経験後、独立して表参道に「NORA」を設立。2013年に「NORA Journey」をオープンさせ、2014年には青山で「NORA」の拡張移転を果たす。2017年にはフィリピンへの出店を果たし、2018年は大阪に「NORA MARCHE」をスタート。
(取材・文/小沼理 撮影/河合信幸)