貯金の底も見えた「MAGNOLiA」のオープン秘話—10年サロンのブランディングストーリー前編
2008年〜2010年 集客苦戦期
独立に必要なのは技術とお客さまと、資金。そして応援してくれる外部の人
『MAGNOLiA』は2008年、僕がANTIで培ってきたパーマの技術を軸に「大人の女性をきれいにする」をコンセプトにスタートしました。
2008年はちょうど、リーマンショックが起きた年です。これから日本にもすごい不況が襲ってくるといわれているような中でのオープン。そんな社会情勢でしたが、オープン直後からお店はとても忙しかったです。忙しくなるための準備を独立前から念入りにしていましたからね。
独立というと普通、技術とお客さま、そして資金があれば上手くいくと考えると思います。でも実はそれ以外に、“外部の人”というのも大きな鍵を握っているんです。
例えばメーカーさんやディーラーさん、出版社の編集者やライターの方々、それに独立後の自分の見本となるような、美容業界の諸先輩方。僕はANTIでセミナーや撮影の仕事をさせていただきながら、そういった方々との信頼関係を、時間をかけて築きあげていました。
そのおかげもあって独立直後から外部の仕事もいただくことができ、早い段階で『MAGNOLiA』という名前を外にも認知していただける機会を多くいただくことができました。
オーナーの売上がサロン売上げのほぼ9割。それが3年間続いて…
僕自身は忙しくスタートした『MAGNOLiA』ですが、実は最初の3年間はサロンの売上のうちのほぼ9割が、僕の売上という状態でした。もともと目一杯お客さまを担当していましたから、その3年間は1%とか2%しか売上が伸びなかった。
そんな中でも新卒のスタッフを毎年3人ずつ採用していて、スタッフは増えていく。これはすごくきつかったです。自分の貯蓄を投入して、なんとかお店を回している状態が続きました。
僕以外にもスタイリストはいました。でもどの子もまだ駆け出し。駅から遠い立地だったので、もとからフリー客を当てにしていなかったのですが、彼らのための集客の方法がなかなか見いだせなかったのが原因です。
広告宣伝費に使える予算もほぼない状態でした。
そこで取り組んだのが、近隣のエリアへのチラシ配りです。手づくりのチラシとシャンプーのミニボトルをセットにし、みんなで家々を回って手渡ししていきました。平日の日中ですから不在の家も多かったし、いてもなかなかドアを開けていただけなかったのですが、とにかく地道にそれを続けました。
そんなことをして少しずつスタッフにお客さまがつきはじめた3年目。
東日本大震災が起きました。そのときは本当に「終わった」と思いましたね。もう貯蓄も底が見えはじめていて、これ以上どうしようもないという時期でした。
でも僕の絶望感とは裏腹に、なぜかその時期をすんなり乗り越えられたんですよね。
それだけスタッフも成長していて、お客さまや支えてくれる人たちも増えている。お金はなくなったけれど、3年間のがんばりは実りつつありました。
>スタッフとオーナー。一方通行から対話へ、そして完全に任せたときに