初の離職者が出て気づいた問題点。VANのサロンではなく、みんなのサロンへ −10年サロン「Cocoon」のブランディグストーリー後編

11年目〜 プロセス変換期

“美容師”がいる美容室として。その“当たり前”は変えず、ブランドサロンをみんなで作り上げたい

 

 

10年目を迎える現在ではスタイリストが9人になりました。スタイリストが一人だったころが懐かしく感じます。

 

これからCocoonでやりたいことは、ピラミッドではなく台形型の組織を作ること。みんながみんなピラミッドの頂点を目指すのではなく、その人のセンスが生かせる場所を作れば、もっと活躍の場が広がると思っています。

 

例えば、外部のセミナーが得意なスタッフには、外部だけでなくサロン内部の教育に携わってもらってスタッフの技術管理をしてもらったり、いろんな理由で美容師を続けられない人には、経理やプレスの仕事を任せサロンを裏から支えてもらったり。

 

実は今プレスとして働いてくれているのは、7年目に「他人同士が家族になるって難しくないですか?」と言って辞めたアシスタントなんです。Cocoon初のプレスを設置したのも「仕事に復帰するならCocoonがいい」と言ってくれたのが本当にうれしくて、その子の活躍の場を幅広くしたいと思ったからなんです。

 

スタッフのみんながいろんな岐路に立ったときに、選択肢のある組織にしたい。それは僕一人で作れるものではないから、「みんなで」作ることにこだわりたいんです。そのためには組織の基礎体力をさらに上げていくことも、これからの大きな課題だと思っています。

 

そして、ブームサロンではなくブランドサロンとしてのCocoonをみんなで作り上げたいんです。オープン当初から変わらない、「確かな技術をもった美容師がいる美容室であること」とは、情報が売り物ではなく、技術が売り物だということ。それを今後も大切にしていきたいと思っています。

 

僕はブランディングとは、スタッフ一人ひとりの力が積み重なって成り得るものだと感じています。一人で構築できることではないですし、僕がこうしたいって言って、すべてをトップダウンで決めることでもない。この10年いろんなできごとや経験を通じて、「自分が創る」という考え方から「みんなで創る」という考え方に変わってきたようにも思います。

 

「美容師がいる美容室」という軸はブラさず、僕、VANのCocoonではなく、スタッフみんなの想いと責任でCocoonのブランドを今後も作っていきたいです。

 

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プロフィール
Cocoon代表
VAN

1972年生まれ。長崎県出身。大村美容専門学校通信課程卒業。福岡市内にて『TONI&GUY』に勤めた後、上京。『DaB』、『HEARTS/Double』を経て、2009年に東京・表参道に『Cocoon』をオープン。

 

 

(取材・文/QJナビ編集部 撮影/河合信幸)

 

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