設立4年目からが本当の意味でのスタート。未来につなげるための教育時代の葛藤とは? −10年サロン「Cocoon」のブランディグストーリー前編
2009年〜2011年 基礎体力ストック期
「美容師の当たり前を変えたい」。オープンから大事にしてきたことは今も同じ
『Cocoon』は2009年4月、表参道にオープンしました。サロンコンセプトは、「殻を破る」。大事にしてきたことは今も変わらず、「普通のことをより普通に、当たり前のことをより当たり前にできること」、そしてノンブローカットにこだわること。
お客さまの約8割は朝にブローをしていないのに、美容師の8割は仕上げにブローをしています。このギャップを変えない限り、お客さまにとっての再現性なんてない。美容師が思う当たり前の常識を変えたかったんです。
独立したのは自分への挑戦だったと思います。サロンの看板がなくなった一人の美容師として、自分がどれくらいできるのかチャレンジしたいという思いは昔から常にあったのかもしれません。なので、独立は自然な流れでした。
スタイリスト1名でのスタート。店の売上=自分の売上だった2年間
オープン時は、アシスタント3名とスタイリストの僕1名でのスタート。求人を打つお金がなかったので、最初スタッフはACOだけの予定でした。けど、不思議なことに僕の自宅に履歴書が届き応募してくれる人がいたんです。その中に、SHUNやSAKURAがいました。
集客に関しては、師匠の寛大な気持ちのおかげで、個人情報保護に則りながら辞める直前にお客さまにCocoonオープンのお知らせをするDMをお出しすることができました。どのくらいの方がきてくれるのかはまったくわからない状態でしたが、ありがたいことにHEARTS/Double時代の約9割のお客さまがきてくださったんです。
1ヵ月で650人ぐらいのお客さまを4人でまわすのは、目まぐるしい忙しさでした。スタイリストは一人なので、売上は僕のみ。店の売上のほぼ100%が僕の売上という状態は、2年間くらい続いたと思います。
3年はサロンの基礎体力を培う。1から育てることにこだわった内部教育
最初の3年はCocoonの技術の基準値を作るために、内部教育に目を向けていた期間です。そのため、今日までスタイリストは入れていません。全員がアシスタントからのスタートです。
美容師の技術の品質は、経験してきたサロンで培われます。スタイリストとして入社したスタッフが、これまで経験してきたサロンの品質をそのまま表面的にCocoonで提供すれば、品質の統一ができないと思うんです。もちろんスタイリストを入れると他のスタッフの競争心を刺激し、切磋琢磨するという観点も一理あるのですが、何よりも結束力が大事なので、1から育てることにこだわりました。
1年目が終わるころには、一人の売上で8人のアシスタントを雇っていました。体は正直ボロボロの状態でしたし、教育に対する葛藤ももちろんありました。「とりあえずデビューさせちゃえ!」という気持ちをこらえ「美容室は美容師が商品、今は先行投資だ」と思い、内部教育に力を入れ、この3年は、外部セミナーなどはすべて断り続けていました。「内が固まらずして外に伝えられることはない」という思いで、スタッフとの時間を何よりも優先していた時期でしたね。
今考えると躍起になっていたと思うほど、当時は技術や品質の標準値を統一することを徹底していました。
例えば、髪の生え方を見ながら落ちる位置をまったく変えないで乾かすのがCocoonのドライです。他の美容室では、髪を伸ばすように乾かしますが、単純に引っ張ってしまうと髪の毛の落ちる位置が変わってしまう。カットでも、頭は円ではなく360度の球体と捉えるため、髪を引き出す角度が床を基準にしているのか、それとは別の基準から考えた角度なのかで他のサロンとはまったく別の基準ができます。美容師の当たり前とお客さまの当たり前の違いを、サロン全体で理解することが必要でした。
技術や品質をきちっと共有することがブランディングにおいては大切なこと。美容師という職業は持久走ですから、瞬間的に1千万売上げても、永続的にお客さまにきていただかないと、10年後美容師としてやっていくことはできません。デジタルな世の中だからこそ、売り物が情報ではなく技術であることが美容師としての価値になる。その価値を高めていくことが将来を作る継続性になると思います。
>他のスタッフが成り立たないサロンではダメ! 売り込みの策は「僕が作っているものにダメ出しをしろ」?