【おしゃれキングRyutaro】30歳を機にOOO YYから『Nu:v』ディレクターへ。着実に成長し続ける多段思考力と前進力を深掘り!
昨秋、恵比寿の閑静な住宅街にオープンしたサロン『Nu:v(ヌーヴ』。そこで代表を務めるRyutaro(リュウタロウ)さんは、学生時代からストリート系ヘア&ファッション誌「CHOKi CHOKi(チョキチョキ)」で”おしゃれキング”を務めていた時期もあったほどのファッション好き。代官山のデザインサロン『OOO YY(オーオシカシカ)』に10年間在籍し、サロンワークを中心にヘアメイクとしてファッションショーやブランド撮影などを経験。そして30歳を機に、次のキャリアステップとして代表を務めるサロン『Nu:v』を出店しました。多くの若手俳優やアーティストから支持される唯一無二なクリエイションは、どのように作られていったのでしょうか。これまでのキャリアを伺いながら、美容師としてのマインドセットや『Nu:v』への想いなどを聞きました。
自分が活躍できる場所を求めて
――Ryutaroさんは高校時代、県内屈指の進学校に通われていたとか。美容師をめざすようになったキッカケが気になります。
中学時代から勉強は得意だったんですが、進学した高校では周りのレベルが高く「勉強では勝てないな」と。入部したサッカー部でも、小さい頃からやってきた部員には勝てない。勉強とサッカー。この2つで挫折を感じて、得意なことをやらなきゃ!ということで職業を探しました。僕は手先がすごく器用でしたしファッションが好きだったので、その2つを掛け合わせた仕事は美容師だなと思ったんですね。それで調べてみたら、専門学校に進んでメディアで注目され、有名店で修行して顧客をつかんでいくという一連の流れが見えて、働き方がイメージしやすかったんです。それで決めました。もともと生き急ぐタイプで先が見通せないことをするのが不安になるようで。美容師の仕事がイメージできた瞬間にパッと決めましたね。
――それで専門学校のタイミングで山梨から上京されたんですね。雑誌『CHOKi CHOKi』には、いつ頃から登場されていたんですか?
上京してから、すぐに出られるチャンスがあったんです。高校時代から雑誌は見ていて、登場している美容師がその後すごく人気が高まっていくのを感じていたので、自分が雑誌に出る、もしくはヘアスタイルが雑誌に掲載されるのが都会で勢いをつける近道だという認識がありました。ファッションもキャッチーなものを意識してブランディングとして戦略的に自分を打ち出しました。もちろん、おしゃれなファッションを楽しみたいという純粋な気持ちもありましたが、美容師になるという軸はブラさず、常にそこを中心に捉えて活動していた感じです。
――その後、専属の“おしゃれキング”にもなられました。在学中でしたよね?
2年生の終わり頃から、美容師1年目までしていました。美容師になってからは月2〜3回、営業後に私服コーデを組んで撮影していましたね。今も新規のお客さまが「あの当時のCHOKi CHOKi見てました」と言ってくださる方もいて、やって良かったなと思っています。