ビル地下なのに行列が! 家業の床屋を全国区にした二代目の思いーりよう室 ZANGIRI 大平法正さん
“日本一出世するビジネスマンが多い理容室”としてその名が知られる「りよう室 ZANGIRI」。人口の減少や1000円カットの台頭により、個人経営の理容室を成功させるのは難しいと言われるこのご時世に、連日行列ができるという理容室です。
創業40年のいわゆる“街の床屋さん”が、2号店をオープンさせるまでに成長できた影には、二代目の大平法正さんのさまざまな改革がありました。その軌跡は、『小さくても勝てます』というビジネス本のモデルになり、ベストセラーになるほどの注目ぶり。
創業者である父の意志を引き継ぎながら、お店を改革していく…。そこにはどんな思いやストーリーがあったのでしょうか。
床屋で育ち、意識せず理容師の道へ
「りよう室 ZANGIRI」は、1978年に両親が前の経営者から引き継ぐ形ではじまったお店です。新宿は今や日本一の繁華街、ビジネス街ですが、当時は都庁もなかったころですね。
私が生まれたのは、その3年後です。父も母も店に出ていたので、私も店に出入りして、スタッフに遊んでもらって、第二の家のように過ごしていました。当時のお客さまからも「二代目」なんて呼ばれたりしてね。そんな環境だったので、自分は理容師になるものだと、なんの迷いもなく理容学校へ進みました。
卒業後は、四谷の大手理美容室へ修行に出て、8年間、寮暮らしで毎日みっちり技術を勉強していました。そんな中、父が病気になってしまったんです。世の中はリーマンショックなどの影響で、だんだん景気が傾き始めていたころ。ZANGIRIにも不景気の波が押し寄せていました。最大8名いたスタッフも当時は2名になり人手が足りなくなっていたので、実家に戻ることを決意したんです。
>挑戦し続けることが成功につながる。店が軌道に乗ったきっかけとは?