専門学校卒業までに400人をカット!? アシスタント期間0日でデビューした異色の美容師 美容学生にも支持される「Nullのフウガ」とは何者なのか
お客さまのセンスがInstagramのバズを呼びよせた
僕がデザインカラーに強いイメージが浸透したのは、転職してからだと思います。Nullの代表の川久保と、スタッフのAYATOも在籍していたサロンで、スタイリスト全員がデザインに振り切っていました。
アグレッシブなデザインを求めるお客さまが多かったので、それに応えていくうちに幅広いデザインカラーに対応するノウハウが習得できました。僕は、自分にはクリエイティブの才能はないと思っています。けれど、お客さまがクリエイティブだから、そのアイディアをカタチにするだけで、とんがったアウトプットが生まれたんです。だから、お客さまに育てていただいた感覚があります。
多分、3年前はエンドカラーなんて概念がなかったと思うのですが、お客さまが見つけた海外の写真を参考にして作ったスタイルをエンドカラーと名付けてそれをInstagramで発信したらめちゃくちゃバズりました。つまり僕のスタイルの多くはお客さまのアイディアが発端だったんですよ。
やがて、もっと自由に活動したいという気持ちが膨らみ、フリーランスに移行し、シェアサロンへ。その後みやちのりよしさん(SHACHU)がプロデュースした「THE SOLOIST」に参加しました。みやちさんから「一緒にやらない?」と電話をもらったことがきっかけです。「THE SOLOIST」は、一人ひとりがフリーランスなんですが、一緒に仕事をすることもある少し変わった集団。Instagramでとんでもない存在感を発揮している人と同じフロアで働けるのはとても刺激的でした。
フリーよりチームのほうが楽しい……Null誕生
僕がフリーランスで働いている間に、川久保が在籍していたサロンがなくなりました。僕と川久保と、あと現Null代表の松岡は、美容学生時代から友人でよく3人で会っていたんです。川久保はサロンがなくなったとき「突然のことすぎて何も考えられない」みたいな感じだったんですよ。僕としても助けたい気持ちもありましたし、フリーランスよりもチームで何かやったほうが楽しいし、人生充実しそうだなと思い始めていた時期でもあったんです。そこで独立しようと考えました。
そのことを元々川久保と僕と3人で仲が良かった松岡に相談するために誘ってご飯に行ったら、その時点でもう松岡は3人でやるサロンの事業計画書をつくっていたんですよ。松岡はフリーランス美容師をやりつつ、そのシェアサロンの本社のマネージャー業務やマーケティング業務を担当し、新規事業では20代限定の育成型シェアサロンの立ち上げも行っていてビジネス感覚にも長けているんです。その場で「やるしかないよね」と決意して、Nullが誕生しました。話があまりにも早すぎて3人で爆笑しましたね。
サロンの理念は「クリエイターが輝く世界を創る」です。僕たちは、「美容師は輝くべき存在」だと思っています。けれど、実際には金銭面や環境面で、輝ききれていない人も多い。成功するために独立する人もいますが、経営的なコストやマネジメント業務の負担から、クリエイターとしての才能が削られていく人も少なくありません。
そうではなく、輝くべき人が輝く世界をつくりたい。いわゆる職人経営ではなく、サロンがクリエイターにリスペクトを込めて環境を提供することによって、僕らの目指したい世界が実現へと近づいていくのだと思っています。まずは、クリエイターの足枷になっている、低賃金・重労働から解き放ち、悪しき美容業界の常識を断ち切ることが目標です。