【NOUe・土田哲也】売上最下位からの逆転劇。紆余曲折を乗り越え、理想の実現に向けて走り続ける原動力と戦い方

 

 

時代を先取りしたショートスタイルのSNS発信で、ショートデザイン新基軸を打ち出してきた土田哲也(つちだてつや)さん。オンラインサロンやセミナー講師活動、ヘアコンテストでは審査員を務めるなど、その仕事ぶりから華やかなキャリアを感じさせますが、これまでのキャリア20年間の裏には数々の挫折と孤独な戦いがあったとか。

そんな土田さんのこれまでの紆余曲折ストーリーを、2025年1月、北青山にオープンした『NOUe(ノーウェ)』で直撃。就活につまづき、そこから活路を見出して努力を重ねてきた土田さんに『NOUe』に賭ける思いを聞きました。

 


 

理想と現実のギャップに戸惑いながらも前進

 

――土田さんのキャリアの出発点を教えてください。

 

新卒の就活で、大きな挫折を味わいました。カットで有名なサロンに入りたくて、最高峰のカットサロンを第一志望にしていたんですね。学生時代はそこしか目に入らず、他を全く見ていなかったんです。でも、結果は補欠枠で、最終的に入社できなくて。そのダメージで、数ヵ月間は意気消沈…。気づいたら冬になっていて、そこからサロンを探し始めました。それで青山エリアのサロンに入り、いろいろあって埼玉店の配属になったんです。学生の頃から”なりたい美容師像”が明確だっただけに、そこでまず理想と現実の壁にぶち当たりましたね。




埼玉のサロンでは、基礎技術や接客、美容師という仕事の楽しさを学ばせてもらいました。ですが僕が求めていたのは、美容激戦区にある技術サロンで、血の滲むようなレッスンをすること。理想としていた世界観との差を埋めるには独学で勉強するしかなくて。とはいえ、まだ動画がない時代でしたから技術本を買って読むんですけど、いまいち分からないんですよ(笑)。もちろん先輩たちは教えてくれましたが、僕が学びたかった技術が幅広かったので、試行錯誤しながら一人で練習してましたね。そういう意味では本当の”師”がいない環境でした。当時はデビューまでの道のりも⻑くて、決して濃密だとはいえない 5 年が経ち、ようやくスタイリストになりました。


 

――25歳でデビュー、その2年後に転職しましたね。

 

やっぱり都心でやろうと思って、27歳のときに都心で数店舗展開する人気店に転職しました。スタイリスト入社でしたが、技術レベルが違い過ぎてシャンプーからやり直しましたよ。カットも周りのレベルに追いついていなかったので、営業開始の3時間前に出勤して練習しました。自分ではかなり頑張ってきたつもりでしたが、下手だったんだな…って思いましたよね。ですが初心に戻れましたし、都心に出たことで目の前のチャンスが広がった感覚はありました。



>都心に転職。暗黒時代を経て、売れっ子に!



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