カラー専門美容師・岩屋真【前編】17年在籍したサロンを去った理由。『NOOS』代表としての新たなる挑戦

 

 

カラースペシャリストとして、日本のヘアカラー文化の黎明期から技術向上に貢献してきた岩屋真(いわやまこと)さん。TONI&GUYに17年間在籍し、カラーの全技術に精通し、最前線で活躍してきました。そんな岩屋さんがこのほど表参道にサロン『NOOS(ノス)』を3人の共同代表でオープン。QJナビDAILYに初登場し、カラーリスト第一期生としての道を選択した理由、紆余曲折のキャリア形成、そして昨年末に17年間勤めたサロンを離れることにした心境や今後の展望などを語ります。盛り沢山の内容を前編・後編でお届けします。

 


 

お告げのように降りてきた『TONI&GUY』入社の道

 

今でも鮮明に覚えているんですけど、専門学校時代に就活をしていたある日、実家の部屋で「自分が就職するサロンはTONI&GUYだ」ってピンときたんです。それまですごい数のサロン見学に行っていて、見過ぎて分からなくなるくらいだったんですね。自分は何が好きで将来どうなりたいのかを、ずっと考えていました。海外にも興味があって、それに通じるのは何だろうと思っていたところ、直感が降りてきて。そこからの就活は、一直線でしたね。

 

 

でも、採用試験に落ちたんです。ところがたまたま最終面接でいい人材が確保できなかったらしく、2次で落ちた人の敗者復活があり、そこで合格をいただけて入社が決まりました。運が良かったですね。

 

ちょうどその年からカラーリストと分業されることが決まっていたんですけど、僕は普通にスタイリスト志望でした。カラーには全く興味がなかったんですよ。でも入社して1カ月経った頃に、先輩から「カラーリストどう?」とすすめられて。当時は時代的にも体育会系のノリがあったので、返事が良さそうな奴として選ばれただけだと思うんですけど(笑)、競争相手が少ないのはいいかもと思ったんですよね。それで、カラーリストになることを選択しました。

 

 

分業がスタートして地位が確立されるまでは、苦い思いをたくさんしましたね。カラーのお客さまがいたらそこだけ任されるわけですが、やはりスタイリストありきだったので信頼されていない気がしましたし、ただ”カラーを塗る人”という感じの立ち位置で、それがすごく悔しかったです。すでに海外ではカラーリストの方が単価も高く、スタイリストより稼げる職種になっていたので、しばらくはモヤモヤを感じながら働いていました。ポジションをひっくり返したい、と思っていました。

 

 

 

>覚悟が揺るがないように、腕に言葉を刻んで前進した

 

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