ALBUMプロデューサーNOBUの「7つのルール」に迫る! NOBUのタフさはどうやって培われた?【後編】
NOBUルール6 -大阪イチ売り上げていたスタイリスト時代-
新しいことや今までになかったことは周りに提案して実現させる
その後は、さらに大阪の別のサロンに移り、前にいたサロンの売上を超えようと闘志を燃やして働きまくる日々。
ちょうど俺はサロンワーク以外では、ファッション系のヘアメイクをやっている時期で、モデルからの指名も増えてきていた。ただ、俺がいつも担当していたのはファッションページの方のヘアメイク。
ヘアスタイルの特集で雑誌に載りたかった俺は、付き合いのある雑誌の編集者に企画書を作って送ったりもしました。「今人気の看板モデル2人を使って、こういう企画を出したら絶対売れます!」とか言って写真をペタペタ切り貼りしてFAXとかで雑誌社に送る。たいてい、受け取った編集者も忙しくて忘れているから、しばらく経ったころに電話して「あの企画どうなりました?」と必ず確認する。そうして喰らいついていって実現したヘア特集で自分のスタイルが1位を取ったときは、「勝った!」という実感があったな。
そうしているうちに、雑誌にもじゃんじゃん載るようになって、サロンの名前も広がり、売上もバチッと伸びていった。当時26歳くらいで、もう調子に乗りまくりのピーク(笑)。「我、覇者なり」という顔で後輩を20人くらい連れて毎日飲みに行っていましたね。
>自分を変えられない人間はお客さまを満足させることはできない