【20代女性経営者】超激戦区・表参道にサロンを立ち上げた和田かな子さんが目指す世界。一人ひとりが輝くサロンを!

 

 

今年2月、表参道の裏通りに女性スタイリストだけの新サロンが誕生。立ち上げたのは、昨年まで有名店のディレクターを務めていた27歳の和田かな子さんです。お店の名前は『NiMO.』(ニモ)。ラテン語で”誰でもない、オンリーワン”を意味する言葉で、「あなただけのオンリーワンを見つけます」という意味を込めたそう。スタッフ4名は、全員20代女性スタイリスト。それぞれが培ってきた幅広い技術力と接客力を武器に、女性ならではの目線で心地よいアットホームなサロンを運営しています。なぜ経営者の道を選んだのか、そこにたどり着くまでの経緯や目指すサロン像についてお話を伺いました。

 


 

美容師を志したのは4歳の時。髪をいじるのも大好きだった

 

——和田さんは、幼少時代から美容師を目指されていたそうですね。きっかけは何だったのですか?

 

母が通っている個人店の美容室にいつも一緒に行っていたんですけど、そこで過ごす時間が楽しくて。切った髪をほうきで掃かせてもらったり、母がシャンプーしてもらっているところをずっと見ていたり。母を担当するのは男性美容師さんで、美容師さんの仕事はかっこいいなと思っていましたね。将来、私もこの仕事がしたいと思うようになって、そこからずっと目標はブレなかったです。

 

——髪のオシャレも好きだったとか?

 

大好きでした。そのぶん、こだわりが強くて。幼稚園に行くときに母に三つ編みをしてもらうんですけど、分け目が左右対称になっているかを合わせ鏡でチェックしていましたし、三つ編みの髪の流れが外側から内側に編んでないと納得できなくて(笑)。早く自分でできるようにならなきゃと思っていました。母からは「そんなに気になるなら髪を切ったほうがいいんじゃない?」と提案され、実は小学校4年くらいからずっとボブやショートだったんです。それこそ、美容師になってスタイリストデビューするまで、ずっと伸ばしませんでした。

 

 

 

スタイリストに格差が生まれず、個々が輝けるサロンが理想

 

——専門学校を卒業し、都内の有名店で美容師になられたわけですが、サロンオーナーを志すようになったのはいつ頃ですか?

 

働き始めて4年後に原宿から銀座エリアに異動したんですが、その頃には自分のお店が欲しいと思っていました。会社の待遇とか人間関係に不満があったわけではないんです。ただ、デビュー後に、売れる人と売れない人の差が大きくつく環境に違和感を感じてしまって。たくさんお客さまが入る人もいれば一日中サポート役の人もいて、その現実に悩んで辞めていく人を見ていたので、一緒に働く仲間一人ひとりが輝ける環境がいいなと思うようになりました。漫画『ワンピース』の“麦わらの一味”のように、個性が集まってそれぞれが輝いているのが私の理想。そういう仲間が欲しいなと思ったことが、自分のお店を作りたいと思うきっかけになりましたね。

 

銀座エリアで結果が出せたら動こうと思っていましたが、コロナでいろいろストップしてしまって。銀座には2年半いたんですが、結果的に退職する3カ月前にディレクターに昇進できました。そのあとお店のオープン準備のために退職して、5カ月後にお店を立ち上げたという流れです。

 

 

>お店の場所との出会いも、運命的だった

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