【あざとい系?】永井レイの”黒髪モテ系”徹底セルフブランディング。フリーランスとしてアパレルでも活躍する二刀流はこう生まれた!
技術テストにようやく合格したらコロナ禍に。将来の道を模索
アシスタント4年目の頃からは、技術テストがさらに厳しくなり、なかなか受からず苦戦しました。テストのモデル選びにもいろいろと条件があったので、それに見合うモデル探しも簡単ではなかったです。業界の中でも注目されているサロンだったので、スタッフは髪を切るだけではダメ。技術に加え、個々のブランド力や美容師としての魅力も求められていたんだと思います。しかしなかなか結果が出せなくて、悔しくて毎日泣いてましたね。それでも周りがみんな頑張っているので、常に「やらなきゃ」と自分を奮い立たせていました。
途中、一気に火がついた時がありました。アパレル業界の友達にも協力してもらい、可愛くてイメージに合うモデルさんを連日呼びこんだのです。これまで努力した伏線が一気に開花した結果でした。ドン底までいったけど這い上がれた気がして、あの経験がなかったら今こうして美容師をちゃんとできてないかもと思うくらいです。
カットテストに合格し、そろそろデビューできるかな…というタイミングでコロナ禍に。勢いよく頑張りたくても仕事量をセーブしなきゃいけなくて、もどかしい時期が続いて。教育カリキュラムもガラッと変わって、また最初から…みたいな状態になったタイミングで、祖父が他界したんですね。残された祖母は介護が必要で、母は仕事を持っていたので、これは私もサポートしなきゃって思いました。その頃は仕事で追い込まれ過ぎていて心に余裕がなく、お金もなくて。経済的に母を支えることもできず、いったい何のために働いているんだろう、誰のために頑張っているんだろう?お客さまのため?会社のため?とあれこれ考えましたね。
そして心の底から出てきた答えは、「家族を大事にしたい」という気持ちでした。東京に出てからずっとつっ走ってきましたが、25歳で本当の意味で自立もできていない現実に気づき、これからの道をここで決めようと思ったんです。退社したらフリーランスという道がある。顧客はいませんでしたが、これまで施術した方やインスタのフォロワーさんはたくさんいたのでついてきてくれるかな?と。もちろん不安はありましたが、できるんじゃないかという気もしたんです。当時はもうメンタルがぐちゃぐちゃだったので、まずは覚悟を決めて退社し、実家に戻ることにしました。会社には申し訳なかったですが、思い切って決断しましたね。そこから1ヵ月家族のサポートに徹して、そこからは経済面を立て直したかったので面貸しの美容室を探しました。
最初にお世話になったお店のオーナーさんは、日払いでも週払いでもいいよと言ってくださって、本当にありがたかったです。インスタで「フリーランスとして始めます」と告知をしたら、新規の方が60人くらい来てくださったんですよ。前職のお店の敷居が高いと感じていた方はマンツーマンになったことを喜んでくれましたし、「安心して行けます」という方も。嬉しかったですね。でもそれに甘んじず、インスタ投稿やモデル撮影も引き続き頑張りました。休日も取らずに働いてましたけど、会社の看板がなくなってお客さまとシンプルに向き合えるようになったせいか、全然疲れなくて何連勤でもいける感じでした(笑)。
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