【10000の技を持つ男】元サロン経営者、森戸俊樹の美容人生第二章はトッププレイヤー。ハイトーンサロン4店舗を売却後、自由に働く半生と仕事術
20代で独立。ハイトーンサロンをどこよりも早く出店
準備資金の目標額に到達したので、27歳のときに独立して横浜にハイトーンサロン『イエローコーン』を出店しました。セット面は11席で、スタッフ7人でのオープン。自分の売上だけで経営できるキャパでしたので、少し新規が入ればうまく回ると思っていました。まだSNSがない時代でしたから地域情報誌に広告を出したんですけど、それが当たって予想以上にフリー客が入ってくれて、わりとすぐに2店舗目を出すことができましたね。当時はまだハイトーンを売りにしているお店がなくて、「横浜でハイトーンならイエローコーン」と言われるくらいに育ったんです。
その後、さらに横浜に3店舗目、4店舗目と出店しました。2店舗目からはすべて自己資金でしたので、借り入れが一切ない状態でかなり優良経営です(笑)。そして僕が40代に入ってから店舗をスタッフに全て売却し、小さくフランチャイズ化しました。今は僕の会社の下に子会社として店舗がある感じなので、現場は全面的にお任せしています。経理やスタッフ管理もしていないですし、仕事量はかなり減りましたね。毎日通常どおりサロンワークに出勤していますけど、自由にスケジューリングできるので、コロナ前は毎月1週間休んで海外旅行をしていました。帰国後は3週間休みなしでしたけど、そんなライフスタイルを満喫していましたね。
今は給与以外にロイヤリティも入ってくるから、以前のようにバリバリ働く気はもうないんです。老後のための貯蓄もできましたし、安定を掴んだからこそ、純粋な気持ちでまた美容師に戻れたという感覚です。お店がお休みのときはセミナー講師をしたりしているんですけど、余計なことを一切考えずに仕事ができていますね。もし、ずっとプレイヤーのままでいたらこのポジションは確立できなかったと思うので、独立は良い選択だったなと思っています。