【カリスマ登場】吉田潤が北千住から吠える!伝統×革新の両輪で進む『ISM』の流儀とギャル文化の立役者の主張(後編)
日本中を沸かせた「あゆショート」をはじめ、「ミルクティカラー」「ガンメッシュ」など数多くのスタイルを発案したISM代表・吉田潤さんは、ギャル文化の立役者でありながら、日本髪の講師としても第一線で活躍しています。下町・北千住に1店舗目を構えてから24年。4月には青山店を移転し、今月末には北千住の新店舗オープンも控えるという多忙な中、隙間時間をいただいてインタビューが実現。熱狂的に愛され続ける『ISM』の魅力を、前編・後編で紐解きます! 前編はこちらからどうぞ>>
大ヒット「ミルクティカラー」誕生秘話。
僕たちが最初に“ミルクティカラー”を発信したのは、雑誌「egg」でした。もう 24年前のことです。当時、もちろん似ている色はたくさんあったと思いますが、ギャル雑誌でしたから「これ何色ですか?」と例えるように言われたんです。それで”ミルクティ”と言ったのが、ことの始まり。その雑誌が発売されるやいなや、すぐにギャルに憧れる子たちが一斉にミルクティをオーダーするようになり、全国の美容師さんたちから問い合わせ電話がたくさんかかってきました。
ミルクティは、全頭ブリーチをしてウェラの商材を配合して特別に作っていたんですが、あまりに人気なので、アメリカ本社の社長が来日して、一席を設けられまして。あれは驚きましたね。何を言われるのかが分からなかったので緊張しましたけど、喜んでいらしたので安心しました(笑)。ミルクティのおかげで、売上がかなり伸びたらしいです。
担当する芸能人の中でも、浜崎あゆみさんの影響力はものすごいんですよ。世代的なものもあるのかもしれませんが、ファンの熱狂ぶりがすごくて「同じ髪型にしてほしい」というリクエストが殺到し、朝から最終電車までずっとサロンワークをしていた時期がありました。外に行列ができて、お客さまの終電がなくなってしまい、タクシー代を出してマイナスになることも多々あったんです。あまりにお客さまが多いのでお断りをしても、「地方から来ていて今日を逃せないんです」と言われたり。それくらい、ミルクティカラーはセンセーショナルでしたね。
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