【トーキョー美容師、地方進出】大阪sandへぎしょうたvs福岡Lond津賀雅也が緊急ZOOM対談。東京ブランドサロンの地方出店ラッシュを追う
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へぎ:ところで津賀さんのサロンは、スタイリストがすごく成長していますよね!
津賀:撮影のクオリティの成長が早かったですね。撮影を想定したセットの仕方などが分かってそれを実践するようになると、売上が伸びたという実感があります。それはうおーっと思いましたね。その結果、12月は新規数が850人でした。それまではスタイリストの月売上は平均50万くらいだったんですけど、その時、全員200万超えましたね。
へぎ:それはすごいですね。そこまでやる気にさせている津賀さんの手腕もすごい。
津賀:まずは入社初月に頑張ってもらうんです。売上が上がればその分、自分の給料も増える。売上次第で自分のボーナスがコントロールできることを一度体感したら、次の月も頑張れます。でも下から登っていくことは難しいですからね。でもこういうやり方が通用するのは、現在1店舗だけだから。これが2店舗、3店舗と増えて僕の目が届かなくなると通用しないので、その時は変えていかなくてはいけないなと思っています。
東京の美容師経験が武器になる。
編集部:今、二人は地方で頑張っていますが、そこには東京での美容師経験が大いに生かされていて、それが武器になっているのでは?
津賀:東京には最先端の技術があると思います。一度や二度、東京に旅行に行ったくらいでは技術の凄さや、ブランド力も分からない。実際に東京に住んで東京で働くと、日常インプットが毎日続くんですよ。そういう経験は、地方に出ていった時に強いなと思います。
へぎ:間違いないよね。それに有名店に入社したら、そこから過酷なレースの始まりだったりする。僕が一番大変だったのはアシスタント時代で、器用じゃなかった自分はひたすら練習をしなければいけない人間だった。不器用さが半端なかった。
津賀:僕は美容師を一度辞めてからのスタートだったので、自分に対してプレッシャーをかけていましたね。アシスタント時代、「スタイリストデビューの売上記録を抜こう」と。きっと普通にすんなりと美容師をやっていたら、ここまで高い目標を掲げていなかったかも。ブランクがある自分だから、必死になりましたね。
へぎ:僕はいわゆる有名店でアシスタント時代を過ごしました。有名店に入社できたことは嬉しかったけど、それはたまたま所属しているだけのこと。そこから這い上がっていくには、環境に甘えるのではなく、自分に厳しさを課して行動しないと。
津賀:今となって当時を振り返ってみると、僕はミスが多かったんですよね。美容技術以前に、接客の作法が全くできてなくて、先輩スタイリストからすごく注意を受けていました。未熟さゆえに社会人としての常識がなく、目の前のお客さまへの気配りも欠けていました。それで日々のサロンワークで、どうやったら周りから一目置かれる接客ができるのか、すごく意識して学んでいったんですよね。今、自分が福岡店の代表になって、後輩たちに技術以外の細かい部分を指導しているんですよ。それって僕の先輩たちが教えてくれた経験があるから、生かされているんだなと思います。
へぎ:津賀さんは、福岡出店ではスタッフは現地採用でしたね。オープン前から密にコミュニケーションをとって指導されていたんですよね。
津賀:僕が育ってきた環境が影響しているのだと思います。目標に向かっている自分に、先輩たちがしっかり寄り添って教育してくれていたんです。本当にたくさんのことを教えてくれていたので、それを今の若いスタッフにも教えていきたいと思うんです。
へぎ:そうやって自分が受けてきた恩恵を後輩に伝えていく。サロンの文化として大切に継承していきたいですよね。お互いに頑張りましょう!
(文/QJナビDAILY編集部 photo/松林真幸、久保田健斗)