世界的なクライアントを抱え、一流メディアに名前を刻むヘアメイク Teiji Utsumiがロンドン・東京で仕掛ける「Haco+」とは?

リンゴがほしいと言われたら、バナナもメロンも持っていく

 

 

−James Pecisのアシスタントをする中で得たものは?

 

James Pecisと一緒に、ニューヨーク、パリ、ミラノなどを、大きなスーツケースを携えて飛び回りました。彼から学んだのは、

仕事場でのマナー、マインドセット、クライアントの求めている以上のものを持っていくことです。リンゴがほしいと言われたら、そこにバナナとメロンも一緒に持っていきプレゼンテーションする。あるとき、James PecisはVOGUEの撮影のとき、使う予定のないカラーウィッグを40個くらいキレイに並べるように僕に指示しました。すると、編集者やフォトグラファーが、それをみて「かわいいじゃん」とリアクションしていたんですよね。でも撮影では使わない。あとでJames Pecisに聞くと、「常に求められているものだけではなく、それ以上のものを押しつけにならないように出していく。それが仕事ってものだろう? それに彼らに僕がカラーもできるってことが伝わったじゃないか。」と言っていました。

 

 

James Pecisのもとで学びのある時間を過ごしていたものの、自分の名前でやれる仕事は少なかったんです。30歳も近づき、年齢的なプレッシャーもありましたが、アシスタント時代に知り合ったフォトグラファーやスタイリストがどんどん出世して「Teiji、フォトシューティングするから来てくれ」という依頼も増えていきました。そして、仲間のフォトグラファーが『i-D』の仕事を獲得したんですよ。僕がヘアメイクで入り、自分の名前も出たことで、仕事をもらえるように。カメラマンや編集者などとの繋がりができると徐々に仕事が回りだしました。日本に帰ろうか迷っていたタイミングだったので諦めなくてよかったです。

 

洗い場のバイトとキャバクラのボーイをしながら活動

 

 

−フリーランスとして独立してからは、どのように活動していたのでしょうか。

 

オファーが殺到する売れっ子アーティストやフリーランサーはごく一部で、1週間、2週間仕事がないこともあります。一方で、美容師をやりながらヘアメイクをやるのは難しい。なぜなら、「明日あいている?」と聞かれたとき「美容室の予約が入っているから無理」と断ると、「OKまた連絡するね」と言われたまま連絡が来なくなります。だから、ヘアメイクの仕事と重ならない夜間のアルバイトをしていました。日本食の洗い場のバイトと、日系のキャバクラのボーイです。

 

 

山積みの鍋と食器を洗い、終わったら朝3時までキャバクラで働いて、撮影があるときはそのままほぼ寝ないで仕事…という生活が3年続きました。ただその間にも作品を撮りためていたんですね。それが認められてJames Pecisが所属するエージェントに、自分も所属することに。ニューヨークやパリにも事務所があったので、今度は自分の仕事として、ニューヨーク、パリ、ロンドン、ミラノを飛び回りました。ものすごく忙しい時期が数年続いていたのですが、2020年に新型コロナの影響で、ロンドンがロックダウンされたんですね。約4カ月間、外に出られない生活が続き、いろいろと考えました。世界を飛び回る仕事は、体力的に長くは続けられないし、ヘアメイクとしてやりたかったことをやりきった感覚もあったんですよね。なにより新しいことを始めたい気持ちもありました。

 

Teijiさんが手がけたヘアメイク

 

それで2020年9月にHacoの第一号店をロンドンで立ち上げたんです。わずか2席の小さな店舗だったんですけれど、インフルエンサーの友達や仕事仲間のアーティストたちが紹介したりしてくれたおかげで、あっという間に手狭に。2021年10月には拡大移転をしました。

 

>スタッフのやる気が後押しとなり東京出店を決意

 

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