「売名行為」と言われても揺らがなかった。『五番街』はなぜ貧困家庭の子どもの無料カットを創業から40年続けているのか
美容師だからこそできること。自分と同じような境遇の子どもを笑顔にしたい
独立して『五番街』をオープンしたのは1981年、26歳のときです。本当はそのまま東京で働くつもりだったのですが、そのころに那須塩原で生活していた僕の叔母が亡くなり、地元の仏壇やお墓を守る人を探していて、僕に声がかかったんです。東京に残りたいという抵抗も虚しく(笑)、那須塩原へ行くことになりました。
同じ那須でも、那須塩原は自分が生まれ育ったのとはまったく違う街です。知り合いは誰もいなくて、知らない街でぽつんと一人生きていくことになりました。でも、今思えばそれがよかったと感じます。自分しかいないなら、成功したら周りの人に感謝できるし、失敗しても自分で責任を負えるじゃないですか。だからこそ頑張れたんだと思います。
経済的に恵まれない子どもの無料ヘアカットをはじめたのは、『五番街』をオープンした翌年の1982年です。誰も知り合いがいないこの街に住まわせてもらうのに、自分には何ができるかなと考えたときに、髪を切る技術を活かして何かしようと思ったんです。
僕は子ども時代に、お金がないことですごく大変な思いをしました。でも、牛乳配達をした家のお母さんにおにぎりを握ってもらったり、近所の人に学校へ行くときに着るシャツをもらったり、いろいろな人に助けられたんです。だから、僕も生活に困っている家庭の子どもを笑顔にしたいと思いました。
市役所に掛け合うと、担当者が「いいアイデアですね!」とすぐに賛同してくれました。そうして生活保護の家庭の子ども(幼児・小学生・中学生)を対象に、年に2回使える無料カット券を、社会福祉協議会を通じて配布することになりました。
反対するスタッフに毎日伝えた「お金より、人に喜んでもらう生き方を」
活動をはじめる前に大変だったのは、僕の妻やスタッフからの理解がなかなか得られなかったこと。「どうして負担になるだけの、儲からない仕事をするの?」と言われ、1カ月近く毎日ミーティングをして説得しました。
そのとき言っていたのは、「人間はお金持ちになることがすべてじゃない」ということです。お金がいくらあっても、人に喜んでもらう生き方をしないと人生はつまらない。人の役に立つことをするのが何より大事なんだって、繰り返し伝えました。
最終的にはみんな納得して、この取り組みに快く協力してくれるようになりました。無料カット券を利用した子どもがうれしそうに帰っていくのを見て、僕以上に感動するスタッフもいます。「美容師をやっていてよかった」と感慨深そうに言っていましたね。
社会貢献活動は持続させることが大切。利益を犠牲にせず、子どもたちを笑顔にできる仕組みを
カット券で提供しているサービスは開始時から変わらず、シャンプーとカット、ブロー。開始当初からカット券の対象となる家庭のうち約10パーセントの子どもが利用してくれていて、その割合は今でもほぼ同じです。
土日は他のお客さまも多いので、カット券を使えるのは平日のみにしています。社会貢献活動は、持続させることが大切。そのためにはきちんと利益を出す必要があるので、その制度設計は考えました。
カット券を使うお客さまと接する上で気をつけているのは、まず周囲の方にカット券だと気づかれないようにすること。「この子はカット券なんだ」とわかると、子どもが窮屈な思いをするかもしれませんから。受付で券を受け取る時も「お預かりします」と言うだけで、券については触れません。お帰りのときも、会計はしないけれど、そのことを周囲の人に悟られないような接客をしています。
他のお客さまと同じように接客することも忘れてはいけません。子どもは敏感なので、ただの練習台になっていると感じたら逆に傷ついてしまうでしょう。そうならないように、経験のあるスタッフがいつも通り担当するようにしています。