Fanna ginza塚本繁 美容維新、その胎動。【GENERATION】雑誌リクエストQJ2005年11月号より

渋谷は中心じゃなかった

 

 

だれもが「失敗する」と言った。

メーカーやディーラーの人々。大阪のサロンの人たち。全員が「間違いなく失敗する」と断言した。

渋谷に100坪。それがサロンの規模だった。お客もいない。基盤もない。ブランドも浸透していない。スタッフもいない。あり得ない。

しかし塚本は、塚本だけは失敗なんて考えなかった。

「ぼくはあんまり深く考えない。ただ自分がこれと思うことをやってれば、説対うまくいくという自信はあったんです。自分が信じることをやってれば絶対大丈夫だと思ってたから」

大阪でやってたことをそのまま東京でやる。東京流に変えるつもりはない。言葉も気にしない。大阪弁で勝負したる。全然大丈夫‥‥。

 

取材が殺到した。理由は業態の新奇性。

そこは他社との共同事業として美容室だけでなく、マッサージがあり、シャンプーバーがあり、歯医者まであった。だから取材に来る。しかし‥‥。

「スタッフが寄せ集めだった。大阪から来たのは6人。新たに15人ぐらい採用したんですけど、想いが伝わらない」

東京の美容師は、『K-two』を知らなかった。当然、そのマインドも知らない。大阪で、どんな想いでのし上がってきたかを知らない。ただ、渋谷に新しくできるサロン。話題性のありそうなサロン。

なのに塚本は強制する。たとえば深夜までの練習。あるいはモデルハント。休日の撮影。このくらいのことをやるのは当然だろう。

東京採用のスタッフは反発する。

「なんでそんなことまでしなきゃいけないんだ」

拒否反応。次々と辞めていく。しかしやり方を変えようとはしなかった。

「ぼく自身、仕事という感覚じゃないんですよ。おもしろくて楽しくてなんでもやっちゃう。だから趣味みたいなもの。ここから先は自分の仕事じゃない、なんてないんです。ただね、確かに大阪ではブランドが確立しているし、そのマインドも浸透してるから、それが好きで入ってくる。でも東京では名前も通ってないし、ましてやぼくのことなんか誰も知らない。普通のサロンのつもりで普通のノリで入ったのに、やることは、めざすことはトップサロン。受け入れられないんですよ」

さらに、である。渋谷に出てわかった。中心ではないこと。美容の中心は原宿であり、青山だった。渋谷は地方都市だった。

それでも2年半、渋谷でがんばった。そこから青山へ。

「やっぱ、ど真ん中で勝負するしかないやん」

 

ようやくスタッフが落ち着いてきた。想いが伝わる美容師だけが、塚本についてきた。だからこそ塚本には勝算があった。もう、寄せ集めじゃない。

共同事業ではなく、今度は単独で店づくりをした。サロン内にカフェをつくり、食のプロデュースにもチャレンジする。

「越智は何も言わないです。完全に任せてくれる。やりたいように好きにやらせた方がうまくいくってことを彼は知ってるから」

 

 

坂本竜馬と生きたかった

 

『K-two』は開花した。美容界のど真ん中で、のし上がった。

「青山で勝負するというのは、自分の人生を賭けたギャンブルみたいなもの。自分がイケてると信じるものを世の中に対して打ち出していく。当たれば評価されるし、当たらなければ評価されない。評価されなければ衰退する。退場が待っている。東京ってそういう世界。そのシビアな世界に身を置いて自分を試したいというか。つねにしんどくありたいというか。楽なのはイヤなんですよ。楽になると、そこから逃げたくなるんですよ」

 

塚本は最近、仲のいい美容師たちと語り合っている。

サロンは違えど、原宿・青山で日々勝負する美容師たち。30歳前後の若手美容師。雑誌の撮影等で知り合った彼らは、自然と集まるようになった。

「ぼくらの時代をどうつくるか。ぼくらの世代があたらしいものをドンと出して、美容界に革命を起こさなきゃ。それがぼくらの想い。次のつよい力をつくっていかないと美容界自体が衰退していく。だけどそういうのは待っていてもやってこないから、自分たちで集まって行動を起こしていく」

彼らのなかでは呑んでも呑まなくても、熱い話題ががんがん出てくる。

「美容界、変えていかないと。青山とか都心だけでなく地方も変わっていかないと、という想いもあるんです。地方と都市の格差はある。だけど実は地方の人たちのほうがマインドが熱かったりする。だから‥‥」

塚本繁。33歳。出身は大阪。しかし心情的には、小学校時代を過ごした“土佐っぽ”。

「ぼくは維新の時代に生まれたかった。坂本竜馬と一緒に生きたかった」

 

 

 

美容師になったきっかけは、「口を滑らせただけ」であった彼が今、日本の美容界を語る。堂々と青山で勝負しながら、革命を語る。その原点にあるのは、おそらく放浪の時代である。

美容学校の2年目から始まり、アルバイトでお金を貯めた1年半。

さらにロンドンへ渡ってからの2年。そして大阪に帰って2カ月。

『K-two』と出会うまで、彼は約5年近くも費やしている。

器用だった彼が、さらにだれよりも練習してつかんだ技術に、ベルリンの壁崩壊直後のロンドンの空気が流れ込んだ。それは決して将来、稼ぐための過程ではない。むしろ美容という仕事の本質を見極めるための時間。自分という個を発見するための時間。自分と向き合う時間。自分を信じるための時間。豊饒なる、時間。

 

美容師は技術者である。しかし、技術者だけではない。時代の空気を吸いながら、技術を駆使して女性たちの髪を動かし、自らを表現する創造者。その「自ら」をつくる旅に、塚本は十分に時間をかけた。

 

かつて坂本竜馬は、江戸の千葉道場に学び、後に脱藩して諸国を歩いた。

人々と出会い、語り合いながら幕藩体制のなかで初めて「日本」を構想した。

竜馬にも豊饒なる時間があった。仲間がいた。勝海舟という師がいた。

ならば塚本には‥‥

 

 

   ライフマガジンの記事をもっと見る >>

   リクエストQJ Instagram

   リクエストQJ YouTube

  旬の美容師求人はこちら

Related Contents 関連コンテンツ

Guidance 転職ガイド

Ranking ランキング