Fanna ginza塚本繁 美容維新、その胎動。【GENERATION】雑誌リクエストQJ2005年11月号より

アシスタントからもう一度

 

 

オーナーは塚本の経歴を聞いて、「スタイリストで入社してほしい」と言った。

ところが塚本は「アシスタントからやり直させてほしい」と言うのだ。

24歳。ロンドン帰り。しかし自信はなかった。なにより日本の状況がわからない。日本人の髪が、わからない。その謙虚な気持ちが、塚本の将来を決定づける。

 

シャンプーからのスタートだった。

4カ月間、塚本は越智のアシスタントとして徹底的にしごかれた。

「すごい厳しい人だったんで、いろんな面を学びましたね。技術はもちろん気遣いとか、段取りとか。先、先を読んで、準備をしていく。次を読んで行動していかないと、めっちや怒るんですよ」

最初の4カ月で、塚本は鍛え直された。

技術はもちろん、美容師としての心構え。

スタイリストになっても、塚本は越智と同じフロアで働いた。

塚本は越智の技術を、段取りを、お客さんとの接し方を、学びつづけた。

越智はオーナーでありながら、だれよりもきちんとした技術と、だれよりも広い視野を持っていた。

 

 

オレが行かないでだれが行く

 

風が吹いていた。東京では美容師ブームが起こり始めていた。

『K-two』は、大阪の女性たちの支持を集め始めた。

越智は、サロン内に撮影スタジオをつくっていた。作品撮りを日常的に行い、メディアに発信する。ヘアショーを依頼されると、積極的に企画・実行する。その中心に、いつの間にか塚本がいた。

入社した時期もよかった。これから上っていく時期。そのなかで塚本はいつの間にか『K-two』のトップスリーの一角へとのし上がっていた。

 

楽しかった。美容師であることが、こんなに楽しいのか。そう思った。

モデルを選び、作品をつくり、発信する。ヘアショーを演出する。お客さんは次から次へとやってきた。

 

当初はただ、カッコいい美容師になりたかった。

しかし『K-two』に入社して、ビジョンが変わった。「のし上がりたい」。どん欲になった。

 

東京は、意識していた。テレビで『シザーズリーグ』が始まると、東京はすごいことになってるな、と感心した。負けてる気はしなかった。しかし雑誌の仕事で東京に行くと、現実に愕然とさせられるのだ。

たくさんのサロンが集結するヘアカタログ。その撮影現場に行くと、作品をホワイトボードに次々と貼っていく。その分け方に愕然とするのだ。

ホワイトボードには地名が書いてある。原宿、青山、渋谷‥‥。心斎橋はなかった。それどころか大阪も、ない。

渋谷の横には『地方8』と。つまり地方8都市。大阪のサロンの作品はそこに貼るのだ。

「東京から見たら大阪は地方都市のひとつに過ぎない。もうそのときはめっちゃくやしかった。だけどくやしいから大阪でがんばろうと思わずに、東京に来なあかん、と。大阪でいくら頑張っても何十年もかかる。そのころにはもう自分は無理や。一番頑張れるときに、旬のときに行かないと」

越智とは、いつもそんな話をした。

「東京に行きましょう。」「勝負、かけましょう」

越智も応える。

「行きたいなぁ」「でもまぁ、あと4、5年やろなぁ」

 

サロンでは、お客さんがあふれていた。『K-two』は、圧倒的な支持を得ていた。その要因は、塚本を初めとする若いトップスタイリストの活躍。加えて越智の感性と行動力だった。

 

越智はいつもあたらしいものを提示した。メイクも、ネイルも、ブライダルも、越智が塚本らに打診して、いい感触だと思ったら即座に導入した。時代に敏感で、女性が求めているものをいち早く察知して、これだと思ったらすぐに行動する。

「魅力的ですよ。だからぼくらは辞めないんです。同世代が大阪にも幹部として4、5人いますけど、みんな辞めない。その理由は自分で店をやるよりもっと魅力的な空間が『K-two』にあるから。つねに自分たちが望むものを目の前に投げてくれる。いつもわくわくする。だから独立して自分でやりたいとは思わない」

 

ミナミに大型店を出す。心斎橋のお店からお客さんがあふれると、越智は決断した。

塚本は、その新店には行かなかった。心斎橋の店を、ニューブランドでリモデルする。その試みにチャレンジした。

「ぼくはしんどいことが好きなんです。すでに定着した『K-two』でいくより、あたらしいブランドを立ち上げるほうが、しんどい。だから自分で一からやってみるのもいいな、と」

『add』。それが塚本のブランドだった。『K-two』にプラスして付け加える。そんな意味を込めた名前だった。

当初は、塚本のお客さんだけがやってきた。それでも600万円から700万円の売上になった。それを彼は2年で2倍に跳ね上げるのである。

「ぼくは人を教育するの苦手なんですよ。これがいいと思う自分の信念を、だれがなんと言おうと曲げないから。合わない人たちは辞めていく。ぼくはつくるヘアスタイルもそうだし、自分のなかでのイケてる価値観とか、営業体制とかを押しつけるんです」

暴君。しかし強烈なリーダーシップともいえる。新規事業の多くは、そのような強いリーダーが成功させる。

「越智さんから、いい話があるんだけど、と言われたのは4年前の11月でした。ぼくはすぐにピンと来た」

塚本は即座に答えた。

「東京行きですか」

「なんでわかったんや。そうなんや。東京行きや。ほぼ決まりそうなんや」

越智は聞いた。

「おまえ、どうする」

「行きます」

念願の東京進出だった。オレが行かないでだれが行く。

 

>渋谷は中心じゃなかった

 

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