apish 坂巻哲也 『旗』は、世界へ。 【GENERATION】雑誌リクエストQJ2001年3月号より
動と静がつくる立体感
彼らのデザインコンセプトのなかには“パーマによる質感調節における静と動”というテーマがある。
「まず、パーマをかける時、どこにパーマをかけないかを考えるんですよ。ちょっとクセがあるからパーマをかけない。このへんにボリュームがあるから、このなかにパーマをかけない部分をつくりましょう、と」
つまり髪のなかに、ストレートとウエーブが混在する。
「まっすぐの毛を残すことによって、ウエーブとウエーブの間にストレートの壁ができるんです。その壁が、ウエーブを独立させてくれる。なおかつストレートの部分がボリュームを抑えてくれる」
だが、その理論を実践するには問題があった。
日本人のクセ毛、である。
「もともとストレートの人にパーマをかける時はいいんです。かけないだけで、まっすぐな毛はできる。だから単純にウエーブとの組み合わせだけで調節できるんです。だけどクセ毛の人は、巻かないとクセ毛が残る。まっすぐじゃない。つまりウエーブとくせ毛。動と動なんですよ。動と動だとドウにもなんない(笑)。それをどうにかしようって考えた時に、最初はくせ毛をストレートパーマで全部伸ばしたんですよ。つまりまず静をつくる。そのなかに必要な動を入れていく。だけどこれは二度手間ですよね。髪のダメージも倍。コストも倍。だからこれをヤバイって言うんですね(笑)」
爆笑してしまった。
「講習行くとね、必ずこのギャグを使うんです。もう百万回くらい使ってる(笑)。でも笑ってくれるのは、中年の方ばっかりですね」
ウケた自分が悲しかった。
化学者たちとの格闘
さて、パーマ液の開発である。
ストレートパーマ液には、粘性のある“セタノール”という物質が入っている。その物質によって、ストレートパーマ液はクリーム状になっている。しかし、ウエーブパーマ液は液状である。それを混ぜることによって、両方の性質が出せないか。それが開発のスタートだった。だが、化学の素人にはなかなか期待する効果は出すことができなかった。
そこで彼は、あるメーカーの協力をとりつける。それから彼は毎週のように研究所のある大阪へ通い、化学者たちと実験を重ねるのである。
「最初はなかなか理解してもらえなかった。化学者の人には、ぼくの求めているものがイメージできないんです。だからモデルを使って、化学者が見守るなかで、実際にぼくがパーマをかけて説明する。何度も何度も説明する」
そうして約1年、である。これまた画期的なパーマ液が誕生した。
ストレートにも、ウエーブにも使える“ジェルパーマ”である。
「クセ毛の人はもちろん、ストレートの人にも使える。あるいは質感チェンジもできる。たとえばスパイラルパーマで首にかかるようなパーマというのは、大きいロッドでかけてもなかなかきれいにかからなかったんです。だけどジェルパーマ液を使うと質感を変えることができるんですよ」
つまり彼は1回の塗布によって、ストレートにもウエーブにもできるパーマ液を手にしたのである。
しかし、である。彼はなぜ、そこまでこだわるのだろうか。
彼は果たして何を、求めているのだろう。
その核心に触れる前に、まずは彼がなぜ美容師になったのか、である。
ラグビーボールの夢
坂巻哲也は千葉県に生まれた。
子どものころ、彼は極端に病弱で毎週のように病院へ通っていた。
だが、それでも彼には夢があった。小学生のころからギターを弾きはじめた彼はバンドを結成。当時、プロへの登竜門であった“ポプコン”に挑戦していた。
「何度、応募してもダメだった。だけどいつかはきっとプロになる。そう思ってた」
だが高校一年生の時、指をケガしてしまう。
ギタリストにとって指は命。指が繊細な動きを失ったとき、彼は夢もまた失ったのだ。
そんなある日のことである。
校庭でひなたぼっこをしていた彼のそばに、ラグビーボールが転がってきた。
先輩が遠くから声をかける。
「おーい、悪いけどボール取ってくれ」
彼は立ち上がってボールを手に取り、ゆっくりと蹴り上げた。
ボールはまっすぐに、先輩のもとへ飛んでいった。
すると、その先輩は血相を変えて飛んできた。
「もう1回蹴ってくれ」
坂巻はもう一度、蹴った。するとボールは再び、まっすぐに飛んでいくのだった。
「お前、ラグビーやったことあんのか」
「いや、なにも運動やってないです」
「お前、ラグビー部入らないか」
「はぁ、入ってもいいっすよ」
ラグビーボールは、サッカーボールとは違う。楕円球である。つまりボールの本当の芯の部分を蹴らなければ、まっすぐには飛ばないのだ。
彼は誰に教わったわけでもなく、生まれて初めて蹴ったラグビーボールの芯を2度とも、正確にとらえたのである。
「お前だったら身長もあるし、絶対すげぇラガーマンになるよ」
先輩は興奮していた。
これは後日談だが、そのラグビー部は部員が足りなくて困っていた(らしい)。だが、彼は素直にラグビー部に入った。
身長は180センチ。だが、ガリガリに痩せていた。そこで先輩たちは、彼を太らせようとする。ラグビーは敵と正面からコンタクトする激しいスポーツ。ある程度、体重がないと簡単に飛ばされてしまうのだ。
苦しかったのは練習ではない。食べさせられること。ここは相撲部屋かというくらい彼は先輩たちに食べさせられた。
たとえばピザ。500円で食べ放題という店に連れていかれる。ノルマは20枚。限界を超えている。当然、気持ちが悪くなる。すると先輩は「吐くな」と叫ぶ。「飲み込め」。それでも耐えきれずに戻す。すると罰として近くの中華料理店へ連行され、チャーハンを食べさせられるのだ。
食べさせられることには閉口したが、ラグビーはおもしろかった。
与えられたポジションはスタンドオフ。チーム全体の司令塔である。
彼は試合になると、先輩も含めて14人のメンバーを、縦横に動かした。
「大学に行って、ラグビーやりたい」と思うようになったのは、3年生の時である。
彼は名門、明治大学ラグビー部をめざした。
ところが、である。試合中の激突で、彼は頸椎に大きなダメージを受けた。半身どころが全身不随になる寸前という大ケガだった。もう一度、強い衝撃を受けると危ない。そう医者は告げた。こうしてラグビーの夢も、消えた。
「ありがとう」の心地よさ
「それでまた目標がなくなって、横道に逸れた。バイクに走った。横浜銀蝿とかね。全盛期ですよね。クールスとかね。永ちゃんとか。このへんの美容師なんて、昔の写真とかが業界誌に載るとみんなこんな頭(リーゼント)ですからね。ぼくもそうだった。そのころはもう、ただ遊んでるだけ」
見かねた兄が、彼に言った。
「彼女が美容師なんだけど、そんなに遊んでるんだったらウチの店でバイトでもしたら、と言ってるぜ」
坂巻は思った。
「ま、バイクのガソリン代が稼げればいいや」
それが、彼の美容師人生の端緒となった。
彼はバリバリのリーゼント・スタイルのまま、美容室で働き始めた。
最初は「洗濯と掃除だけでいい」と言われていた。
ところがある日、「ちょっとシャンプーしてくれる」と言われる。
全くの未経験だった。教わってもいない。だけど彼はシャンプーをした。するとそのお客さんが言ったのだ。
「あぁ気持ちいいわぁ。あんた手が大きくて力あるのねぇ」
70歳くらいのおばあちゃんだった。
「ありがとう。これで長生きできるわぁ」
彼は驚いた。大人に「ありがとう」なんて言われたことがなかった。街を歩けば白い目で見られる。
「バカにされたり、ゴミ扱いされたことはあっても、褒められたことないなぁって思った。そういえば人にありがとうって言われたこともないな、と。でも、ありがとうって言われることって、なんか気持ちいいなぁ」
追い打ちが来た。その日に先生に呼ばれて「あなたね、すごい。手先が器用だから美容師になったら大物になるよ」と。
彼は思わず聞いた。
「ホントですか」
すると先生は断言した。
「私の目に狂いはないわ」
これも後日談である。
その店にはインターン生がいなかった。だから若いスタッフを渇望していたのである。
しかし、それでも彼は高校を卒業すると美容学校に通い始める。
「おだてられてラグビーやって、シャンプー1回で美容師になった(笑)」
ならばなぜ、彼は東京に出てきたのか。
千葉の美容学校を出たら、アルバイト先の美容室に勤めることになっていたはずだ。
「高校生の時、講習会に行って東京の美容師さんに会ったんですよ。その人がね、この業界がどうだ、お客さまのデザインがどうだ、と。なんだよこれ、って思ったんです。全然、周囲の人たちと考えてることが違う。もう目の輝きが違う。すげぇ、と」
彼は先生に言った。
「先生、オレは美容学校卒業したら、東京で働きたいんです」
先生はしみじみと答えた。
「そうね、あなたぐらいの人は東京に出た方がいいわね。きっと大物になるからがんばりなさい」
その先生もまた、彼をイヤな顔ひとつもせずに送り出してくれたのである。