apish 坂巻哲也 『旗』は、世界へ。 【GENERATION】雑誌リクエストQJ2001年3月号より
掲げる『旗』のもとに
企業には『旗』がある。
旗、すなわちビジョン。
何を事業として、何を実現していくのか。
会社はその旗を実現するための組織だ。
そしてそれを明確にする責任を、経営者は負っている。
旗は、多くの場合、創業者が掲げる。
その旗のもとに創業期の社員は集まるのだ。
だが、企業が成長していく過程で、創業者とは異なる旗を掲げる人も出てくる。
それは会社と同時に本人が成長した証でもある。
当初は見えなかった旗の色が、成長するに従って見えるようになってくる。
その時、その人は感じるのだ。
会社の旗は、自分の進みたい道とは違う、と。
たとえば会社が掲げる旗が、赤色をしているとする。
一部の社員が理想とする旗の色は、白。
このような場合、会社はどうするか。
柔軟な会社であれば、社員が掲げる白の意味をとことん話し合い、納得した上で赤になじませる。するとたとえば、会社の旗はピンクに変わる。
だが、組織が大きくなるにつれて、それは難しくなる。
なぜなら多くの社員は赤の旗を信じ、毎日そこへ向かって仕事をしているからだ。
赤をとるか、白をなじませるか。
それは大きな分岐点だ。
赤をとるなら、白を掲げた社員が辞めていく。
白をなじませたら、赤を信じる社員の志気が下がる。
社員の数が増えれば増えるほど、経営者の悩みは深くなる。
だが社員は、経営者の悩みに思いを馳せることはない。
オレがやりたいことを、やらせてください。けっして間違ってはいないのだから。
その一点で、迫ってくる。
だがその時、白を掲げた社員もまた、悩んでいるのだ。
Sは、悩んだ。白い旗を降ろすべきなのか、と。
だが、彼の周囲には同志がいた。仲間が、いた。
彼らはSの白い旗に賛同して、ついて来ているのだ。
悩みに悩んだ末に、Sは決断した。
独立。
大きくて有名な美容室のなかで、アートディレクターという技術部門のトップの座を投げ捨てても、旗は降ろせなかった。
顧客名簿も、雑誌社とのネットワークも、すべてを会社に置いて、彼は同志とともに美容室を辞めた。
「結局、同じ価値観を持つ者同士でやりたくなった。大きな会社っていうのはいろんな価値観を持った人がいる。オレは時間が一番大切。私は家族。オレは彼女。私は趣味。そして美容が大切。ぼくはその美容が大切というヤツだけを集めて、一緒に飛び出した」
社長にその決断を話す時が最も辛かった。
なにしろ彼は美容学校を卒業してから17年間、その美容室で育ってきたのだ。
彼はあらゆる技術と経験を、その美容室で教わっていた。
彼が決意を告げると、社長は言った。
「あなたが辞めるのなら、一緒に付いていく人、いるんでしょ」
彼は正直にメンバーの名前を言った。
すると社長は、すでに覚悟をしていたようにすっきりした表情で言った。
「わかった。いいわよ」
原宿の「実験工場」
原宿に『apish』という名の美容室がオープンしたのは2年前。1999年のことである。
スタッフは7名。そのリーダーであり、オーナーとなったのがS、つまり坂巻哲也である。
坂巻たちは猛然と、動き始めた。
「お店もそうなんですけど、自分たちの環境を自分たちでつくり上げていこうというのがコンセプトなんですよ。だからここもみんなで探した。路地裏の隅から隅までチャリンコに乗ってね」
内装も、全員で考えた。
「イスの革ひとつ、サンプルがバァーッとあるなかから、みんなで持ち帰って、太陽の光のもとで見たり、蛍光灯の光の下で見たりして、比べながらみんなで選んでいった」
カラー専用に開発されたバックシャンプー台の導入。
頭のツボをマッサージするツボ式オリジナルシャンプーの開発。
お客の貴重品を入れるためのオリジナル・バッグ。
さらに坂巻自身が試行錯誤のうえで開発したステップ・カットという技術。
オリジナル、オリジナル、オリジナル‥‥。
まさに『apish』は、彼らの独創をかたちにするための実験工場だった。
「原宿・青山には450軒くらい美容室があると言われているんですね。だけど、どの店も流行ってるわけではないんです。それはお店を探しながら徹底的にリサーチしてわかった。雑誌に出ていて有名なお店も、お客さんがあまり入ってなかったりしてることを目の当たりにした。結局は原宿に出したからお客さまが来るわけではない。雑誌に出てるから来るわけではない。やっぱりお客さまが求めている価値観に合わせていくことが必要なんです。求めているものを技術的にも返してあげられるようなお店をつくらなければ勝負ができない。つまり450軒のなかの差別化。他のお店とは何か違うもの。それをみんなでつくり上げていく」
彼らが到達したコンセプトは、“質感の追求”であった。
「似合うというのは当たり前。デザインコンセプトは、“一歩上のオシャレ感のあるキレイでかわいい頭”。ぼくらは『キレカワ』って言うんですけど(笑)。キレイとかわいい。ひとつ間違えると相反する要素かも知れない。だけどそれがひとつになった時に、女性って一番磨かれて、素敵に見えるのかな、と」
そのために、彼らがこだわったのは“質感”、である。
質感を追求するための武器は、まず“ステップカット”であった。
坂巻は、4年ほど前からステップカットという技術をつくり上げ、提唱していた。
「階段のように短い毛があって、その上から長い毛が乗ってくる。そこにまた短い毛があって、さらに長い毛がある。そうすることによって日本人の硬くて太くて多い髪を欧米人風に見せることができる。頭の大きい人を小さく見せたり、頭の横の張りを押さえたり、つぶれてるところをふくらませてあげたり。いろんなシルエットも変えられるし、質感も変えていけるカット」
「軽さ、軽さで来てた時代には、どこの店もセニングやレザーで、ガーッと5分くらいで切っちゃうお店がいっぱいあった。そうするとまず髪の毛が傷む。確かに軽くなるんだけど、髪の毛が全部開いちゃうんですよ。束にならない。だけどウチは束感って言って、少し束になりながら軽さのあるスタイル、揺れるスタイルをつくっていこうという考え方なんです。そこで軽さとか質感を出していく」
理論家である。独創的である。
インタビューを開始すると、彼はまるで講習会のように、素人の私に技術を語り始めた。
差別化とは何か
「ステップカットにパーマを合わせる時には、従来のロッドでは相性が悪いんです。普通のロッドは短いですよね。当時、主流のカットというのは毛先が尖っている。毛先の方が細くなってる。根元の方が傷んでない。その髪を短いロッドに同じ条件で巻いていくと、傷んでる毛先の方にパーマが強くかかるんですよ。そうすると毛先がクルッとかチリッとかになる。その質感がどうも好きじゃなくて。時代的に少し縦に落ちるようなボリュームのないウエーブが流行ってたんで、どうしたらパーマで質感が出るのか、と。みんなでいろいろ実験したんです」
その結果、彼らは“ジョイント・ロッド”というロッドを発明したのだ。
「ま、単純なロッドなんですけど、円錐形になってて、なおかつロングになってるんですよ。長いロッドは縦に巻いていけるから、髪の毛がルーズに縦に落ちるんです」
彼らの発想は画期的だった。
傷んだ毛先は太い部分に巻く。傷みの少ない根元は細い部分に巻く。そうすることによって、ほぼ均等な、縦にゆらゆらと揺れるウエーブがかかるのだ。
「でもその当時、ロングで円錐形になってるロッドがどこにも売ってなかったんですよ。じゃあつくろう、ということになって、2本のロッドを差して組み合わせて、ロング状にして、そこにコットンを巻いて太さを変えたんです」
彼らはコットンの巻き方を工夫することで最適な太さを追求した。
試行錯誤の連続。ついに営業で使えるオリジナル・ロッドが完成すると、彼らは毎朝、仕込みに追われるようになる。
1日の来客数、約100名。そのうちの約70名がパーマを望む。ロッドの使用量は1人当たり5、60本。つまり400本前後のロッドに、コットンを巻くのだ。
「まさに手づくり。しかもすぐに品切れになる。コットンは1回使ったら捨てますから、足りなくなったら裏で巻く」
しかもそのコットンには、PPTというトリートメントを染み込ませる。そうするとコットンのなかから、髪の毛にじわじわとトリートメントが染み込んでいく。
「差別化という話に戻るけど、ぼくらは努力とか時間とか手間は惜しまない。そこで今、オーナーとしてちょっと悩みなのは、すんごいウチ、コストがかかる(笑)。だけど、何よりもまずお客さまに喜んでほしいから。それがやっぱりぼくたちの求めていること。だからオーナーとしては失格だと思うんですけどね。数字の計算してたらできないです。だけどお客さまが喜ぶお店をつくれば、絶対に流行る、と」
流行った。確かに、流行った。『apish』のパーマとカットは、どこか他と違うという評判が、口コミで拡がっていったのだ。
「お客さまが喜ぶというのは、ぼくは料金を下げるということではないと思うんですよ。街でビラ配ってね、何パーセント引きです、と。あるいはトリートメント・キャンペーンです、とか。そうやってることがお客さまのためだとは思わないんですよ。だって、そのために材料費を落とそうとしてるんだから。3000円のパーマかけたら、当然3000円のパーマ液だし、3000円の技術だと思うんですよ。でもぼくたちはそれなりの料金をきちっと設定して、それ以上のものを提供していく。つまり逆の発想。だから、たぶんこの界隈ではパーマの値段に対するコストと手間はたぶんナンバーワンでしょうね。威張れることじゃないけど(笑)」
オーナーとしては「威張れることじゃないこと」に、彼はますます元気にチャレンジした。たとえば、パーマ液の開発、である。
「結局、最終的にはメーカーの化学者の人と共同で、トリートメントとパーマ液をつくったんですよ」