PEEK-A-BOO川島文夫 〜飢餓感の、地図。〜【GENERATION】前編 雑誌リクエストQJ2003年1月号より
美容師は、モテる
当日。月曜日。午前11時。川島文夫はその日もにこやかな笑顔で席に着いた。私は開口一番、こう言った。
「川島さんって、なんで美容師になったんでしたっけ」
彼は一瞬、私を見つめた。もし彼が「だから、昔の話はしないって」と答えたら、負けである。初戦は、私の負け。戦術を組み直し、時間をかけてインタビューを再構築しなくてはならない。しかし、彼は意外にも素直に言った。
「モテるから」
そう言って、彼は笑ったのだ。
「えっ? モテると思ったんですか」
「思いましたね」
「えっ? だってそのころ男性美容師って、そんなに多くないですよね」
「そうですよね」
「でも、モテるっていう意識があったんですか。実例は少なかったはずですよね」
「モテるというか、人が好きだったという感じでしょうか。人とコミュニケーションをとるのがね。ぼく、けっこう寂しがりやだったと思うんですよ。ですから人と接していると安心するという。ま、それはもう昔からそうだったと思うし。なんかひとりっていうのが、すごく寂しいというか、ヘヴィに感じるんで。でも今は逆ですよ。今はひとりのほうがいいな、って思ってますから」
会話が、滑り出した。
外国に、行くために
川島文夫が美容師になった理由。それはもうひとつ、あった。
東京生まれの東京育ち。しかも寂しがりやなので、友人と一緒にいろんなところへ行く。遊ぶ。すると東京という街を熟知したつもりになる。もの足りなくなっていく。彼のこころのなかにはあたらしい好奇心の対象が見え始める。それは外国、であった。
「どうしたら外国に行けるのか、考え始めるんですよ」
それで、美容師になった‥‥?
「手っ取り早いといったらへんですけど。まだその当時の日本は閉鎖的だったし、だれでも外国に、手軽に行ける時代ではなかったんで。単なる旅行というのも難しい時代でしたから。なのに何もできない自分。言葉もできない。お金もない。だったら何か技術を身に付ける。もちろん、美容だけが技術じゃないと思うんですけども、絵描きとか音楽家になる才能もなかったので。美容師がいいんじゃないかな、と」
そう考えたのが、高校1年のときであった。
「たまたま友だちになったヤツらが夢を持ってたんですよ。ひとりはグラフィックデザイナーになりたい。ひとりはカメラマンになりたい。じゃオレは何になればいいのかな、と考えた」
結論は美容師。美容師になって外国へ行く。
彼の際立った特長は、思い立ち、気持ちが高ぶると行動を起こすほかなくなるという点にある。少なくとも私は、この文章を書きながらそう思う。たとえそれが常軌を逸しているように見えたとしても、彼は即座に決断する。そして、動く。その連続が、彼の人生をつくり上げてきたのではないか、と。その最初の例が、美容学校への入学であった。
「高校を中退したんです。1年の2学期を終えたところで。高校で何かを習うより、早く美容師になって、すぐにでも外国に行きたい」
彼は願書を書き、翌春には『高山美容専門学校』に入学してしまう。
「学校は楽しかったですよ。着ていく洋服も自由だし。出席は取るけど、けっこう自由」
高校とはまったく違う環境のなかで彼は思っている。
「感覚ってのを勉強するのはこういう環境が必要なんだな」と。
美容は技術である。美容学校は国家試験に合格するための技術を教える。私はそう思っていた。だが彼が学んだのは「感覚」だ、と。
「けっこう、いろんなのが有りなんだなということがわかりますよね。美容には答えがいくつでもあるじゃないですか。数学だったらひとつしかないのに、美容はいくつもある。なんかそういうのをちょっと、学んだような気がします」
そのころ彼はどんなことを考え、どんな日々を送っていたのだろう。
「将来何やりたいとか、どこに行きたいとか、そんなこと考えてないです。休みの日は映画に行ったりとか、洋服買ったりとか、もうそれで精一杯じゃないですか。こうなりたいとか、これをしなくちゃいけないとか、将来有名になるとか、そういうことじゃない。だけど何かやりたいなとか、上手になりたいなとか、そういう気持ちはありましたね」