SUNVALLEY 朝日光輝 美容師は資産なのに。【GENERATION】雑誌リクエストQJ2005年9月号より
雑誌「リクエストQJ」創刊以来の看板企画「GENERATION(ジェネレーション)」。
昭和〜平成〜令和と激動の美容業界において、その一時代を築いてきた美容師さんを深堀りしたロングインタビューです。
300回以上続いた連載の中から、時を経た今もなお、美容師さんにぜひ読んでいただきたいストーリーをピックアップしていきます。
今回は2005年9月号から、SUNVALLEY代表の朝日光輝さん(掲載時は「air」所属)のお話。サロンワークでの活躍はもとより、トップヘアメイクアーティストとして数々の女性誌などで最先端のトレンドを発信。抜群の感性と高い技術力、どんな状況でも最善の結果を出す仕事とその人柄で、一流モデルやクライアント、また同業者からも厚い信頼を集めています。そんな朝日さんがなぜ美容師を志したのか。当時考えていたこととは? 率直な想いが語られたインタビューです。ぜひご一読ください。
ライター:岡 高志
美容師は商品である。
美容室経営者にとって、美容師は商品。
お客さまを獲得し、満足させてリピートさせる商品。
だからこそ投資を惜しまない。
技術を教える。
接客を教える。
それを一般企業では“マーチャンダイジング”という。
だけど美容師は、人間である。
生身の人間である。
恋もすれば、夢も見る。
愛する家族ができれば、生涯かけて守りたい。
もし経営者が商品だという意識を変えなければ、
美容師は飛び出すしかない。
自らを人として扱ってくれるところへ。
資産として守り、生かしてくれるところへ。
もし見つからなければ、自分でそういう場をつくるしかない。
しかし現在、独立はますます困難になりつつある。
ならばどうだろう。
経営者は美容師の一生をともに築く覚悟を決めたら。
「どうせ独立するのだろう」ではなくて
「一緒に人生、豊かにしていこうよ」、と。
だって美容師は、商品というよりも
大事な大事なみんなの資産なのだから。
ちりちりの、くりくりである。
中学生になって髪を伸ばし始めると、彼の髪はひとりだけ他と違う。
ちりちりの、くりくり。
それだけでもう田舎の中学ではモンダイである。
上級生はからんでくる。「パーマかけてんじゃねぇ」。
先生も怒る。「なんでパーマなんかかけてんだ」。
「いや、これは先生、実は天然なんです」なんて言っても信じてくれない。
「ルールが守れないヤツは廊下に立ってろ」である。
理不尽なのである。
思春期。「なんでオレの髪はこうなんだ」。朝日光輝は悩んだ。
「あぁ、さらさらの髪になりたい」。それが人生最大のテーマになる。
ある日、朝日は理容室へ。すると理容師は初めて、彼の髪をさらさらのまっすぐにしてくれたのである。
奇跡だと思った。すごい感動である。で、次の瞬間、朝日は思う。「なんでさらさらになるんだろう」。
そういえば、理容師はなにか頭皮がすーすーする液体をつけてくれた。
「なんだこれは、ヘアトニック? よし、これだ、トニックだ」
さっそく彼はヘアトニックを買い求め、翌日から一所懸命髪にふりかけるのであった。
ところが、髪はさらさらにならない。頭皮がすーすーするだけである。
「あれ、おかしいな。なんでだろう。床屋さんと同じトニックなのに」
次回、翌月、理容室に行ったとき、朝日は理容師の動きをじーっと見つめる。すると理容師は前回と同じようにトニックをふりかける。と、大きなドライヤーを手にして熱風を吹き付け、ブラシで髪をしごくのである。
「あっ、これだ。こうやって伸ばしてるんだ。ドライヤーの熱で伸ばすんだ」
翌朝からドライヤー全開。ガーガーガーガー、ブラシで引っ張る。うまくいった。さらさらである。これで朝日は失われた人生を半分ほど取り返した、と思った。
だけど人生、そう簡単にうまくはいかない。憎むべきは雨。どんなにガーガーやっても雨にはかなわない。学校に着くころには再びちりちりのくりくり。そんなときは放送室に駆け込んだ。
放送室は個室である。かばんの中からドライヤーを取り出す。ガーガーガー。レコード盤を鏡代わりに、彼は髪を引き伸ばす。放送室を使う権利を得るために、彼は放送委員に就任していた。涙ぐましい努力だった。結局中学時代の3年間、彼はドライヤーを手放すことはなかった。
2度目の奇跡は、中学卒業直前にやってきた。母親が、美容室なるものを紹介してくれたのだ。美容室には、なんと“ストレートパーマ”なんていう技術があった。
「板ですよね。当時、板でやるストレートをやってもらって」
もうさらっさらである。
「感動です。これ、すげぇって」
次の瞬間、彼は思った。なんでウチ喫茶店なんだろう。美容院だったらこれ、タダでできるのに。
母親は喫茶店を経営していた。だから毎日、光輝はコーヒーを飲み、パフェを食べた。コーラはタダで飲んでいた。だけど喫茶店でクセ毛は伸ばせない。
「美容院だったらなぁ」
奇跡の感動もつかの間、1カ月も経たないうちに髪は伸びてくる。当然のようにうねる。くねる。まがる。ふくらむ。彼は工夫した。ブローしたあとに帽子をかぶる。“ツーブロック”という技術が流行ると、すぐに美容師に要求。ボリュームをおさえながら、上だけストレートパーマをかける。だけどそれは毎回美容室に出向き、お金を払って行うこと。
「ウチが美容院だったらなぁ」。やっぱりそう思うのである。
そんな時である。テレビで彼は『山野愛子先生の豪邸拝見』という番組と出会う。
「すごいんですよ。金銀財宝が。家もすごい豪邸で」
あ〜、髪の毛切ってこんなに儲かるんだぁ、と思った途端、頭の回路が結びついた。
「そうだ、オレが美容師になればいいんだ」
「美容師になりてぇ」。彼は父親に言った。すると「美容師は女の仕事だろ。もっと男らしい仕事を選べ」。反対である。母親も同様に反対。すると彼はあっさり引き下がる。
「あんまり深く考えてなかったんです。何をやりたいって聞かれたら、まぁお金持ちにもなれるし、髪もまっすぐになれるから、美容師がいいかなって」
工業高校の建築科。それが彼の進路となった。
「絵を描くことも好きだったんで、家建てるのも楽しそうだなぁって」
それも深くは考えてない。だが勉強してみると、意外におもしろい。
「図面描くのはおもしろい。建築物にも興味が湧いてくる。今でも建築の本はいっぱい持ってて、よく見てる」
建築は大好きだった。だけど彼には弱点があった。計算である。積算。加重計算。構造計算・・・。苦手なのだ。先生は彼の計算結果を見て、言う。
「これじゃあ建物つぶれちゃうぞ」
建築士になる構想は、こうして急速にしぼんでいくのである。
美容学校に行きます
髪の毛の悩みはつづいていた。高校の3年間も、彼は毎日ブローしつづけた。ストレートパーマもかけつづけている。当然、髪は傷む。彼も悩む。打開策はないのか。
あった。“ドレッド”である。流行っていたダンスに興味を持つと、彼は美容室へ行って「ドレッドにしたいんですけど」。
駅前の、オシャレな美容室を選んだ。ところが当時、まだドレッドをやっている美容室は数えるほどしかなかった。新潟ではドレッドにしている人も見かけなかった。それでも駅前の美容師は引き受けた。一所懸命トライしてくれた。試行錯誤。結局、スパイラルパーマの強めバージョン。
またまた感動である。
「オレってサイコーじゃん」
クセ毛はまったく気にならなくなった。同時にその美容師とも仲良くなる。
「実はオレ、中学時代に美容師になりたいって思ったことあるんすよ」「で、実際美容師さんってどうですか」
聞いてみる。「楽しいよ」。答えはすぐに返ってきた。
もし建築の勉強が順調であれば、彼は美容師への道を選ばなかっただろう。高校入学当初は、がんばって国立大の建築学科に行こうかな、とさえ思っているのだ。
成績は優秀だった。学年で10位以内。ときには4位ということもあった。
しかし、計算である。彼の計算で家を建てると確実につぶれるのだ。その壁を、彼は乗り越えられなかった。勉強がつまらなくなった。
「美容師かぁ」
彼は再び考え始めている。頭を見るとサイコーにカッコイイと思う。シャンプーしてもらうのも気持ちいい。おねえさんたちもかわいいし、オシャレだし。
「美容学校に行こっかな」
さっそく美容師のおにいさんに相談してみる。すると「やるなら東京に行ったほうがいいよ」と。「よしっ、東京に行こう、美容学校に行こう」。
進路指導の時間。工業高校の建築科の生徒のなかで、彼はひとりだけ「美容学校に行きます」と言った。母親はもう反対しなかった。「そこまでやりたいのならやってみなさい」。
願書を書いた。東京に送った。山野美容専門学校。イメージはTVで見た豪邸。それ以外は知らなかった。
山野美容専門学校に入学すると、またまた勉強が楽しくなった。
建築もそうだったが、初めて学ぶことはおもしろい。だが、東京には誘惑も多い。友だちもできる。髪型は相変わらず疑似ドレッド。ダンスが大好き。専門学校にはダンスがとってもうまい人がいた。聞くとプロに習いに行っている、と。
「そりゃそうだ、やっぱりね、見よう見まねのオレたちとは違うよね」「でさ、一緒にやろうよ、教えてよ」
朝日のこころは急速にダンスへと傾いていく。だが学校には行った。遅刻もあまりしなかった。山野は厳しい。お金はおふくろが出してくれてる。行かなきゃ。だけど勉強はダメだった。
東京に来て、彼は髪型を本物のドレッドにしている。代官山の『スラッグ』。だがそのヘアスタイルが彼の“壁”となる。
たとえばシャンプー実習。生徒同士の相モデル。「朝日くんはドレッドだから、ひとりで見てなさい」。先生は言う。ブローの授業だって同様だ。「朝日くんは見てなさい」。だがワインディングだけは、やるしかなかった。
手先は器用のつもりだった。だけどきれいに巻けなかった。スピードも、全然周囲に追いつかない。
「なんかちょっと違うんですよね。特殊というか。速さにも、ぼくは何の魅力も感じなくて。速いことの何がカッコイイのかわかんなかったし。巻ければいいんじゃないかっていう」
ダンスばかりの毎日。美容そのものへの興味も次第に薄れていく。さらにアルバイト。ドレッドヘアではできるアルバイトも限られていた。工事現場の交通整理。授業を終えて夜の7時スタート。翌朝6時まで。8時には学校。そんな生活が週に4日である。授業中が、彼の睡眠タイムであった。