「自分のサロンを出す!」と本気で決めなきゃ何もはじまらない−ICY代表/大海良太さん−

とにかく動き出すために、退路を断って自分を追い込んだ

 

 

前のサロンで働いているときは、頭の中にいつも独立の二文字があるものの、いつ独立するかまでは明確に決まっていませんでした。そんなときある先輩にこんなことを言われたんです。

 

「出すと決めないと何もはじまらない」

 

たしかに、独立のためにお金を貯めるにしても、いくら貯めていいのかわからないし、とにかく動き出さなければいけないと思ったんです。サロンを辞める時期を決めて、自分を追い込むことにしました。

 

サロンを出すためには日本公庫からお金を借りる必要があったのですが、お金を借りるにも元手が要ります。そのお金を貯めるために、最初に勤めたサロンからの仲間である榎並孝介くんの実家に住ませてもらうことで、生活費を全部貯金にまわしました。

 

ただ住ませてもらうだけでなく、ご飯もいただいていたので、榎並くんのご家族には頭があがりません。僕の師匠であり、20歳のころからお世話になっている、馬場一馬さんの家に居候させてもらった時期もありました。そのおかげで、スポンサーに頼らず自分で独立資金を用意することができたんです。

 

 

物件は自分の足で歩いて探しました。絶対に表参道でやりたいと思っていたのですが、なかなかいい物件は出てこないし、美容室向けに貸してくれるところは少ないんですよね。今の物件には競合もいました。しかも、普通の事務所として使う予定だったらしく、内装はじめ大掛かりな工事が必要な美容室は不利だったんですよね。そのことを十分理解していたので、何度も何度も物件のオーナーさんのところに足を運びました。大体、週1くらいのペースで会っていたおかげか、熱意が認められ貸していただけることになったんです。

 

最高のメンバーが集まってくれたことが自信につながっている

 

 

独立にあたり、スタイリスト&ヘアメイクの佐藤友美さんや、榎並孝介くんなど、尊敬している人たちが力になってくれたことも心強かったです。できるだけ僕の独断ではなく、みんなでサロンを作っていきたいと思っていたので、スタートしてすぐのころはサロン名も決まっていませんでした。メンバーにサロンの名前を持ち寄ってもらって、投票制で決定したんです。

 

ICYという言葉は、海外の壁画に描いてあったもの。意味はわからなかったのですが、そのグラフィティがかわいかったんですよ。もともと、サロン名には意味を持たない言葉をつけたいと思っていたので、ウチのサロンにはまると思ったんですよね。映画でもなんでもそうですが、タイトルを見るとどんな映画か想像できるじゃないですか。名前のせいで、サロンに色がつくのが嫌だったので、無機質なイメージのICYはしっくりきたんです。サロンの色は、自分たちで出していければと思っています。

 

2018年末からは、馬場一馬さんもICYに加わりました。僕は20歳のころから馬場さんの背中を見てきました。技術はもちろんそうだし、一人の人間としてどうあるべきかという、人間性の部分も影響を受けています。違うサロンで働くようになっても、週1回は会っていたんですよ。2019年からは、馬場さんと僕の共同代表というかたちでICYを盛り上げていきたいと思っています。僕はそんなに人間力があるほうだとは思っていませんが、サロンに魅力的なメンバーが集まってくれたことが、自分の自信につながっています。これからのICYが楽しみです。

 

プロフィール
ICY
大海良太 (おおうみりょうた)

名古屋美容専門学校を卒業後、都内サロン2店舗を経て独立。ICY代表取締役を務める。サロンの経営におけるモットーは、お客様目線、スタッフ目線、世の中目線、時代にあった働き方。デザイナーとしては、赤みを抑えたブルージュカラー、透明感のあるグレージュカラーなど、カラーを得意とする。

https://www.instagram.com/icy_hair/

 

(取材・文/外山武史  撮影/菊池 麻美)

 

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