百年に一度の不況下に生まれた“普通じゃない”サロン -代官山Door -
ドライカットの進化系「フレーミングカット」の考案者で、代官山「Door」の代表をつとめる吉澤剛(よしざわつよし)さん。有名店RITZのテクニカルディレクター&サロンズディレクターを務めた実力者にとっても、独立は容易なことではなかったようです。
28歳、1歳の子を抱えてアシスタントから出直し
美容業界に僕が入ったのはバブルのころです。当時は今よりもヘアスタイルがシンプルで、ワンレングスとソバージュの2極と言ってもいいくらいでした。今ほど技術も細分化されていなかったですし、サロンを出せばもうかる時代でしたから、全体的にスタイリストデビューも早かったと思います。僕も26歳のときには3店舗を統括する立場になっていました。
一方で表現者としての自分にはあまり自信がなかったんです。若い頃、ヘアショーでRITZの金井豊さんが作るスタイルを見て共感した経験もあり、転職して一緒に働きたいという想いが次第に膨らんでいきました。
転職したとき、僕は28歳で1歳の子どもがいました。イチからやり直すには歳だし、採用する側も採りにくいですよね。実際、採用試験に2回も落ちたのであきらめようとしました。でも、そのことを妻に台所で報告したら「あなたを信じてついてきたのに、私たちをどうする気なの?」と包丁で「タンッ!タンッ!タン!!」とキャベツの千切りをしながら、激(ゲキ)を飛ばされまして…。後日、決死の覚悟でリベンジし、3度目の正直でようやくRITZに入ることができました。
腹を決めた甲斐があり、入社2年目には300万円プレイヤーに。90年中盤のカリスマブームが到来前に大きな売上をあげられたのは、自腹でDMを出すなどの泥臭い営業をしていたからです。「吉澤って客に媚びててカッコ悪いな」と言われたこともありましたけど、「言いたいやつには言わせておけばいい」って思っていました。