【カットの匠・枝村仁】技術教育を追求し、大型スタジオも設立。オンラインサロンは1年で1100人超え!47都道府県ツアーも絶好調

 

“美容改革教育者”を肩書きに、技術講師として教育道を邁進する枝村仁(えだむらじん)さん。「三度の飯よりボブが好き」を座右の銘に、カットの伝道師として日本全国で辣腕を振るっています。オンラインサロンの登録者数は、1年で1100人超え。インスタのフォロワー数も、半年で1万人を超えたそう。そんな枝村さんに、これまでのキャリアや教育への思いを聞きました。

 


 

埼玉のユニセックスサロンに15年。教育からマネジメントまで経験

 

僕の両親は、いわゆる昔ながらの床屋さんを地元・茨城で経営していて、小さい頃から二人が働く姿を間近で見ていました。そのせいか、高校時代には見よう見真似で友達の髪を切ったりもしていましたね。僕より6歳上の姉が美容師になって髪を切ってもらったときに、理容師じゃなく美容師という選択肢もあるんだと思って、それで僕も美容師を目指すことにしました。いち早く技術を覚えたかったので、高校卒業後は美容室で働きながら通信制で学ぶ道を選びました。

 

 

地元を出て、スタッフが10数人いる埼玉・三郷のユニセックスサロンに入社したんです。そこで丸15年間お世話になりました。僕はカットが好きだったので、20代の頃はいろいろな技術本を買い漁りましたね。とくに、横手康浩さん(PHASE代表)と、小松敦さん(HEAVENS代表)が作るスタイルが大好きで。少しでも近づきたくてコンテストに出たり、セミナーにもたくさん行きました。自分がどんなに器用な方だと思っていても、業界にはすごい人がたくさんいるじゃないですか。圧倒されるような素敵なデザインを作る人もいるし、どうやったらそんなに早く巻けるの?というようなパーマの早巻き達人もいます。いつも上には上がいると感じていたので、常に「やらなきゃ」という気持ちは根底にありましたね。

 

キャリア7年目の20代半ばには、美容メーカーさんのインストラクターも務めさせていただきました。東京で挑戦したいという気持ちが出てきて、一時は本気で辞めることも考えたんですけど、それを母親に相談したら「あんたに教えてくれたのは誰なの?」と止められたんです。確かにそうだな、と思いましたね。自分のことだけを考えていたけど、そこからは「誰かのために」とか、「恩返しをしなきゃな」という気持ちに切り替わったんです。自分ができることは全部しようと思って、お店で売上を上げることもそうですけど、教育、経理、マネジメント、新店舗の出店サポートなど、さまざまなことを経験させてもらいました。

 

 

>黒木利光(シャウルデッサン代表)との出会いがターニングポイント

 

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