NYの超高級ヘアサロンで売上1位! 予約700人待ちの美容師CocoOmoriの負けない心の持ち方
福岡、東京、ニューヨーク(以下、NY)を拠点としながら、CocoOmoriとして活動しているフリーランスのヘアスタイリストの大森寛子(おおもりひろこ)さんは、輝かしいキャリアを築いてきた美容師の一人です。25歳で単身渡米し、さまざまなサロンでの経験を経て、セレブも通う超高級ヘアサロンで売上1位を達成。しかし、一見華やかに見える経歴の裏では、いじめや突然のクビ、そして結婚、妊娠など、さまざまな壁や人生の岐路に立たされてきたそう。今回は、それを軽やかに乗り越え、道を切り開く大森さんに、自分らしく働き続けられる理由をうかがいます。
ビバリーヒルズの高級サロンに勤める美容師と出会い、渡米を決意
子供のころから絵を描いたり、ものを作ったりするのが好きで、デザイン科のある福岡の高校に進学しました。デザインの学校だから自由な校風なのかなと思いきや、校則がとても厳しくて。茶色に染めた髪を黒髪にさせられては、また茶色に染める…の繰り返しでした。
美容師になろうと思ったきっかけは、黒髪を戻そうと訪れたヘアサロンで10代のアフロヘアの美容師に出会ったこと。「美容師になれば無駄な校則に縛られず、自分の腕で稼げる!」と思い、美容専門学校に進学しました。
卒業後は、当時、福岡にあったアメリカンテイストのかっこいいサロンにどうしても行きたくて、何度も通ったり、作品を送ったりしていました。入社することに全精力を注いだのですが、結局、就職試験には失敗。福岡のセットサロンで1年くらいアルバイトをしたのち、中途採用で「福岡で一番休みが多くて、一番お給料のいいサロン」に就職しました。
そのサロンは縮毛矯正で有名なサロン。そこでは、3年でスタイリストデビューしました。当時はヘアサロンブームでもあったので、毎日が目まぐるしいほどの忙しさ。一度に4人のお客さまをかけ持ちすることもありました。私は一つのことにのめり込んでしまう性格なので、当時は一人のお客さまに100%の力を注げないのが本当に苦しかったです。
スタイリストとしてデビューした後も「もっとうまくなりたい!」と思い、忙しい合間をぬって毎週のように講習に参加したり、東京や世界のサロンを見学したりする日々を過ごしていました。ただ、学べることはたくさんあっても、胸が熱くなるようなことには出会えませんでした。
渡米を決めたきっかけは、ビバリーヒルズから来日した講師のセミナーに参加したことです。技術はもちろん、今まで出会ったどの美容師よりも輝いた目をされていたのがとても印象的でした。「これだ!」と思い、メールアドレスを聞き出して、すぐにサロン見学をするため1人旅へ。街を歩き、見学をして、「私が勉強し直すべき場所がここにある」と確信しました。
高級サロンを目指し6ヵ月で美容師免許を取得! しかし就労ビザが下りず、NYへ!
渡米することを決めてから6ヵ月間は、とにかく貯金。1ヵ月に40万円くらい貯金していました。そして、最初は海外講師がいたロサンゼルス(以下、ロス)へ。
ロスでは午前中は語学学校に行き、午後からは美容学校へ行く生活。毎日死ぬ気で勉強していましたね(笑)。先生が私を気に入ってくれていたこともあり、アメリカの美容師免許を最短の6ヵ月で取得しました。
また、在学中には、渡米のきっかけになった講師が働く高級サロンと地元のサロンへの手伝いにも行っていました。高級サロンと地元のサロンではお客さまもチップの額もまったく違います。「普通のサロンで働いていたら、生活が難しそう。高級サロンなら、勉強にもなる」と思い、卒業後は高級サロンで働きたいと思っていました。ただ、講師が働くサロンは人手が足りており、さらに就労ビザが取得できなかったんです。
NYに行った理由は、この時期に一度帰国したことがきっかけになりました。講師がSHIMAの社長を紹介してくれたので、会いに行ったんです。SHIMAの社長にロスで行った着物のショーやコンテストで優勝したときの作品の写真を見せたら、「君みたいなアグレシッブな子がなんでロスなの? アメリカならNYでしょ」って言われて。「そうか。じゃあNYなのかなあ」と思い、まずはNYに行ってみることにしました。
NYはすごくエネルギッシュな街でした。ロスのサロンの営業は大体18時ぐらいまでなのですが、NYでは夜の遅い時間まで働いている人が多いんです。また、いろんな国の人たちがいて、いろんな英語のアクセントや文化があって、そういう人たちが一生懸命にフル稼働で働いていて、そうしてNYという街が成り立っていることを感じました。もともと「うまくなりたい。向上したい」と渡米したので、ここにいればいろんな価値観や勉強ができそうだと思い、NYで働くことにしました。
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