びよう道 vol.9  AFLOAT CEO 宮村 浩気さん 〜お客さまも、技術も全部リセットして、自分のデザインを探した〜

「ヘアメイクを代えてほしい」 広告代理店に撮影の仕事を外される

 

 

自分のデザインを表現できるようになってから、ずっと順調だったかといったらそんなことはありません。悔しい想いもたくさんしてきました。思い出深いのは、コンビニエンスストアの広告でヘアメイクを担当したときのこと。あるタレントさんから年間を通じてお仕事をいただく予定だったんですが、1回目の撮影が終わったあと、担当を外されてしまったんです。

 

マネージャーさんに事情を聞くと、どうやら広告代理店のアートディレクターやカメラマンから、違うヘアメイクに変えてほしいという声があったみたいなんですよね。正直、広告のヘアメイクの現場に慣れていなかったこともあり、空気を読めていなかったのは事実としてありました。たとえば、「今入って髪を直していいのかな」と思って動くと、「今、照明さんが合わしてんだよ!」って注意されたり。レンズが汚れる可能性があるので、スプレーを使うときに必ず了解をもらわないといけないんですが、現場のルールみたいなものもあまり知らなかったんですよね。

 

そのときに痛感したのは、ヘアメイクとしての実力はもとより、その場の雰囲気づくりができたり、信頼関係を築いたりすることが大事だということ。担当を外されたときは、めちゃくちゃ悔しかったんですが、いつか見返してやろうって思っていました。

 

ちなみに、数年前にそのときのカメラマンと再会したんですよ。でも向こうは全然、僕のことを覚えていない。初対面のような感じで、「宮村さんですよね? ご活躍のほどは聞いています」みたいに言われましたけれど(笑)。

 

雑誌発売後のAFLOATはお祭り状態だった

 

 

僕の名前が一気に知ってもらえるようになったのは、一般紙の表紙のヘアを任されるようになってからですね。最初のころ、僕の仕事は小さく誌面に載るくらいだったのですが、それでもうれしくて編集のかたに感謝の手紙を書いたんです。僕としては純粋にお礼をしたかっただけなんですが、そういうことをする人は少なかったので、編集者さんに目をかけてもらえるようになったんですよ。雑誌の表紙を任されるときなんかは、「これで失敗したらクビかもしれないから頼むね!」ってプレッシャーをかけられていました。

 

ありがたいことに、当時、自分が担当した雑誌は100万部くらい売れていたんです。読者アンケートでもヘアスタイルの評判がとてもよかった。だから、雑誌が出た翌日からは、お客さまからの連絡が殺到して、サロンの中はもうお祭り状態ですよ。当然ながら僕一人では回らないので、みんなに協力してもらっていました。あの当時はフロアに月500万円プレイヤーが3〜4人いる状態が続いていましたね。

 

雑誌をきっかけにたくさんのお客さまがきてくれるんですが、発売されるまではドキドキしてました。というのも、当時はデジタルカメラじゃないから、現場で仕上がりを確かめることができなかったんです。どれを使うのかは、カメラマンさんと編集さんの判断。僕は発売当日までわかりませんでした。

 

雑誌の撮影では、一流のカメラマンさんと仕事をしてきました。「どうやったらこんな雰囲気を切り取ることができるのだろう」と毎回感動していて、自分もカメラの機材を揃えて撮影を始めたんですよ。もともと僕は、髪だけではなくて全体的な雰囲気をつくりたいと考えていました。だから、カメラを持つことで、自分の中に新しい視点が増えて、表現力が進化したんです。「ここをこう切り取ったら、自分の求める雰囲気が出せる」とか、そういうことが分かるようになりました。だから、カメラを触るようになったことが一つの転機になりましたね。

 

>「びよう道」とは、上達の喜びを積み重ねることだ

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